研究課題/領域番号 |
13875111
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研究種目 |
萌芽的研究
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
建築史・意匠
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研究機関 | 九州芸術工科大学 |
研究代表者 |
藤原 惠洋 九州芸術工科大学, 芸術工学部, 助教授 (50209079)
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研究期間 (年度) |
2001 – 2002
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研究課題ステータス |
完了 (2001年度)
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配分額 *注記 |
2,300千円 (直接経費: 2,300千円)
2001年度: 2,300千円 (直接経費: 2,300千円)
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キーワード | バウハウス / 水谷武彦 / 山脇厳 / 山脇道子 / 川喜多煉七郎 / 構成教育 / モダニズム / 20年代30年代 |
研究概要 |
ドイツにおけるバウハウスは1919年設立、1933年に閉鎖されており、活動内容や関連情報は建築およびデザイン雑誌を通してわが国にも多々伝えられた・水谷武彦、山脇巌夫妻ら実際の留学体験者(残る一名の女性留学生の行くえは不明)、今和次郎、今井兼次、岸田日出刀といった渡欧中に立ち寄った建築家らは重要な情報源であった。川喜多煉七郎はバウハウス留学の経験を有さないものの、バウハウス文献と留学生組の協力を得て、バウハウスの基礎課程を基調とした新建築工芸学を東京・銀座に開設、独自の解釈に基づいた構成教育を展開した。十分ではないバウハウス情報に基づき20年代終わりから30年代にかけ、わが国独自のバウハウス受容が進んだと考えられる。本研究はこうしたバウハウス受容期に注目し、戦前特有のモダニズム建築やモダニズム・デザインを生みだす背景となった意匠観の変容を見るものである。 バウハウスの意匠の流れは大きく、きわめて幾何学的・構成的・機能主義的・合理主義的な要素と、有機主義・生物主義的・非合理主義的な要素とから成る。バウハウスの理念が最終的に目指したものはこうした対峙要素の弁証法的解決であったと考えられる。しかしわが国では、対峙する要素の共存状態を実際の建築に見出すことは多くなく、むしろ独自の解釈として主に単純な幾何的形態を持つ「白い箱」的な建築を求めていった傾向が少なくない。極端な場合には、在来工法を用いた木造の建築を「白い箱」として偽装した例も見られる。二代校長ハンネス・マイヤーは「さまざまな作業工程をひとつにする」と作業の共同性を強調したが、元来、独自の造営術とシステムを継承したわが国にバウハウスの基礎理念とも言える中世思想的なものづくり観がもたらされたとは言えず、むしろ表層的に決定づけてしまう意匠の影響が強かったと判断できる。
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