研究課題/領域番号 |
13J01916
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研究種目 |
特別研究員奨励費
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 国内 |
研究分野 |
考古学
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研究機関 | 滋賀県立大学 |
研究代表者 |
中川 永 滋賀県立大学, 人間文化学研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2015年度)
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配分額 *注記 |
3,300千円 (直接経費: 3,300千円)
2015年度: 1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
2014年度: 1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
2013年度: 1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
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キーワード | 水中考古学 / 地震考古学 / 中近世考古学 / 防災 / 災害伝承 / 考古学 / 中世考古学 / 水没伝承遺跡 / 琵琶湖湖底遺跡 / 水没村伝承 |
研究実績の概要 |
主な調査実績として、長浜城遺跡における成果を取りあげたい。 当遺跡は滋賀県長浜市に所在し、調査は湖底部である「太閤井戸地区」について行った。水域は南北約300m、東西約125mで、平成26年度以来、面積の約3分の1にあたる7000平方メートルについて潜水調査を行った。遺構は湖岸から約100m、標高82.6m(水深約1.8m)の地点で確認された。大小の柱材8本と、礫及び大型石材の集石から成る一間×一間の小規模な建物遺構で、正面側に庇状の張り出しを持つ。この建物を中心に、拳大の礫が無数に集積された、直径約8mのいびつな円形を呈するマウンドが広がっている。部材について放射性炭素年代測定法を行った結果、建物の構築年代は19世紀前葉と推定された。この数値及び、琵琶湖の歴史的水位変動、古絵図との比較の結果から、遺構は文政2年近江地震(1819)によって大規模な地盤沈降を生じ、水没したものと判断される。 当遺構の発見は、以下の多様な視点から評価し得る。まず長浜城の構造を巡っては、城の部材は彦根城築城に伴い持ち去られ、遺構は大規模な破壊を受けたとされ、実態の解明は困難であった。今回発見の遺構は近世後期のものだが、地盤沈降以前の湖岸線が現在より遥かに沖合に延びることを示す成果といえる。加えて当遺構は、日本の水中遺跡としては初の建物遺構としても特筆される。より正確を期すのであれば、湖底を陸化し、陸上と同様の発掘調査により建物跡が確認された事例はあるが、建物跡が往時の構造を明瞭に残したまま確認された事例は、他に類を見ない。また長浜市域において文政2年近江地震の被害は知られておらず、歴史地震を基にした現在の防災対策にも活用が期待されよう。このように、確認された遺構そのものは小規模なものだが、これまで各分野で行われた議論に対し、新視点を与えるものと評価できる。
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現在までの達成度 (段落) |
27年度が最終年度であるため、記入しない。
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今後の研究の推進方策 |
27年度が最終年度であるため、記入しない。
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