本研究では、ロシアの詩人ヨシフ・ブロツキーの創作に関して、言語・時間・空間という形而上的テーマの発展に注目し、彼の創作における流刑・亡命の影響を考察した。 第一に、ヴェネツィアを描いたブロツキーの詩『サン・ピエトロ』(1977)の分析、亡命前・亡命直後の作品の比較を通して、彼の亡命観の変化について論じた。その結果、亡命によって奪われた故郷を詩(言語)によって復活させようとする試みとその失敗が生む絶望、怒りから諦観へと至る自身の運命に対する姿勢の変化が当時のブロツキーに見られることが明らかになった。これはブロツキーが亡命生活に容易に適応したというしばしば見られる説を覆すものであり、作家が亡命という出来事を受容するプロセスを示したものであった。 第二に、ウェルギリウスの『牧歌』を踏まえて書かれた1980年の『牧歌四(冬)』の分析を中心に、形而上的瞑想が牧歌という枠の中でいかに行われているかを論じた。この形而上的テーマは亡命以前から維持されてきたものだが、ここではそれを亡命という自伝的要素と組み合わせた上で、古典のジャンルの中で語ることによって、ウェルギリウスが古代ギリシャにおいて逃避的だった牧歌を社会的なジャンルに作りかえたのと同様に、形而上的かつ「私的」な詩としての新しい牧歌を作り出したのだと言える。これは、西洋文化の伝統を継承するとともに、自身の創作の基本的テーマや亡命の運命を用いてその伝統を更に発展させようという試みである。 つまり、ブロツキーは亡命という運命に苦悩しつつも、それを受け入れ、また単に過去を復活させるのではなく、その自らの経験に用い、ロシア詩や世界文学を拡張しようとしていたのだと言える。これが、作家にとっての亡命(越境)が、その創作にいかなる影響を及ぼすかという問題に対する一つの答えとして、今年度の研究が提示する結論である。
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