研究課題/領域番号 |
14401025
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研究種目 |
基盤研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 海外学術 |
研究分野 |
東洋史
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研究機関 | 愛知大学 |
研究代表者 |
伊東 利勝 愛知大学, 文学部, 教授 (60148228)
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研究分担者 |
福井 捷朗 立命館アジア太平洋大学, アジア太平洋学部, 教授 (10027584)
小林 愼太郎 京都大学, 大学院・地球環境学堂, 教授 (20026602)
河野 泰之 京都大学, 東南アジア研究所, 助教授 (80183804)
星川 圭介 人間文化研究機構, 総合地球環境学研究所, 産学官連携研究員
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研究期間 (年度) |
2002 – 2004
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研究課題ステータス |
完了 (2004年度)
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配分額 *注記 |
13,400千円 (直接経費: 13,400千円)
2004年度: 4,300千円 (直接経費: 4,300千円)
2003年度: 4,200千円 (直接経費: 4,200千円)
2002年度: 4,900千円 (直接経費: 4,900千円)
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キーワード | 半乾燥地 / タウンドゥインヂー / 小規模河川灌漑 / 請負人 / 畑作農業 / 東北タイ / タムノップ / 香り米 / 東南アジア / 稲作農業 / デルタ後背地 / 小規模灌漑 / 水利組織 / 植民地政策 / タムノプ / 小規模灌概 / 農民の市場対応 / ミャンマー / タイ / 植民地期 |
研究概要 |
本研究では、湿潤地デルタ開発によってもたらされた社会経済的環境変化に、その後背に位置する半乾燥地がどのように対応したのかを、エーヤーワディー・デルタとミャンマー中央平原地帯およびチャオプラヤー・デルタと東北タイの関係を例にとり、明らかにしようとした。 ミャンマー中央平原地帯のタウンドゥインヂー地方では、デルタの開発当初から畑作地の開発に重点を置いたわけではなく、さしあたりは小規模河川灌漑による米作地の開発が進められ、それが行き詰まった段階で畑作、それも収益性の高いゴマやラッカセイの栽培に向かう。 20世紀初頭の段階で、ほぼ可能な限りの灌漑施設が整備されており、農民はシステムごとにセーダインやミャンウンゾーなどの請負人を独自に選任し、これらの采配のもとにシステムの維持管理、配水等を円滑に行なっていた。請負人による堰と水路の管理体制は、畑作農業の展開とその高度化により、より多くの労働力をそれに振り向けようとした結果であった。その後、畑作地の拡大により、森林面積が減少し、これが水源河川の流況を変更・悪化させるが、灌漑システムはうまく維持されている。 いっぽう東北タイは、1900年チャオプラヤー・デルタ地帯と鉄道で結ばれて以来、米価や諸物価の上昇を招来し、米の自給に拍車がかかる。この時稲作を可能にしたのが、区長や村長、僧侶などが中心となり、地域の農民が自主的に建設したタムノップ灌漑(洪水拡散型土堤灌漑)システムであった。また東北タイおける畑作物の商品化は、この地の土壌に適したサトウキビやキャッサバなどを中心に1950年代以降にはじまる。また1980年以降は、良質の香り米が塩分濃度の比較的高く、砂地のような土壌が広がる東北タイで生産されるようになる。 米を主食とする社会にあって農業は、域内の生態的特性に従って相互補完的には発展せず、それぞれの地域において、限りなく自給確立を志向しようとする力が働くことが明らかになった。
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