本研究の目的は、フランス第三共和政確立・発展期における教育改革において、当時の文部官僚(初等教育局長)・大学教授(教育学・教育科学担当)・急進派代議士(主に教育政策担当)等を歴任したF.ビュイッソン(Ferdinand Buisson:1841-1932)が、その改革のなかで如何なる役割を果たしたかという点についての検討のための基礎的作業を行なうことにある。本研究期間においては、これまで十分な検討がなされてこなかったビュイッソン自身の事跡に焦点をあてて、とくに彼の公教育思想の中核ともなる「世俗性(laicite)」の概念形成に決定的な時期となった青年期のスイス(ヌーシャテル)亡命期について、新たな史料と近年の先行研究の成果を援用して、その思想形成についての検討を行なった。その結果、徹底した福音主義および自由主義の特色をもつ彼の宗教観がすでに第二帝政下のパリ在住期において改革派(プロテスタント)教会での正統派との論争のなかで形成されていき、さらにスイス亡命期において持続・発展されていったこと、またそれに連動して、学校教育(初等学校)から宗派的な教育(具体的には「聖史」の教育)を排除し、代わりに市民・公民的教育内容をもりこもうとする教育の世俗化の具体的提案がほぼ同時期のスイス亡命中に明確になされていたこと、そしてこれらが第三共和政の教育改革をリードする思想的基盤のひとつの淵源となり得たことを明らかにした。
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