本研究においては、全国各地に残る師範学校関係史料を通じて、森有礼文政期における各県の尋常師範学校の日常について、森の政策意図が当事者である教員たちや生徒たちにとってどのように受けとめられていたのか、という視点から考察した。従来、森の師範学校政策は、森自身の「道具責め」という言葉の通り、全寮制の寄宿舎制度を採り兵式体操を重視して「兵営化」と揶揄されたほどの極端に管理主義的なものとして知られてきた。各地の史料を検討してみると、確かにそれらの多くが厳格な生徒管理の実態と、それがもたらした重圧感について指摘し、師範生たちは「規律」を重視する森の政策にとまどい、また、生活のすみずみにまで管理を徹底しようとするその方針に対して窮屈な思いをしていたことを述べている。しかし、同時に、そのような「鍛錬主義」による寮生活の経験によってこそ「実際万事が内的にも規律正しく真面目」となり「克く勉強もし精神も鍛へられた」とする事例、森の導入した給費制度(学生生活の必要品一切の官給及び一定額の日当支給)に感謝し、自己の師範生時代を優遇された時期として回顧する事例、教師と生徒の関係及び上級生と下級生との関係に関しても、その情誼の厚かったことを回想する事例など、森の政策に対する師範生徒自身による肯定的な評価も見出すことができる。今回の検討により、「硬化と束縛」、「監視と処罰」といった表現のみではとらえきれない師範生たちの日常の一面が明らかとなったが、自己強制/自己支配をめぐる森と森に対する批判者たち(例えば野口援太郎、唐沢富太郎ら)との位相の相違、「教育と軍事、学校と軍隊との質的相違」という森の批判者たちが行なってきた把握の妥当性、森の政策と「師範タイプ」との関係、森の政策と師範学校騒擾との関連といった諸問題に関して、さらなる史料的検討を進めていくことが、今後の課題である。
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