研究課題/領域番号 |
14510359
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
平 雅行 大阪大学, 大学院・文学研究科, 教授 (10171399)
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研究期間 (年度) |
2002 – 2004
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研究課題ステータス |
完了 (2004年度)
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配分額 *注記 |
2,700千円 (直接経費: 2,700千円)
2004年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
2003年度: 900千円 (直接経費: 900千円)
2002年度: 1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
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キーワード | 兵杖禁止令 / 顕密寺院 / 禅宗寺院 / 軍勢催促 / 南北朝内乱 / 聖徳太子 / 僧兵 / 延暦寺 / 検断権 / 顕密仏教 / 戒律 / 仏名会 / 堕地獄 / 一殺多生 / 物部守屋 / 魔仏一如 / 太元帥法 / 呪咀 / 護持僧 / 異国調伏 / 悪僧 / 軍忠状 / 陣僧 |
研究概要 |
中世寺院の暴力の実態と、その正当化の言説を検討した結果、下記の事実を明らかにした。 (1)平安・鎌倉時代に俗権力は寺院の兵杖禁止令を盛んに発布したが、これは武装解除命令ではない。一般領主と同様、寺院にも検断権が認められていた。つまり俗権力は、寺院が警察的武力を保持することは容認していたが、過剰な軍事増強を牽制するために兵杖禁止令を発布していた。一定の武力の容認、これは古代とも近世とも異なる中世寺院の特徴である。兵杖の取り締まりに際しても、俗権力は悪僧の直接逮捕や寺内への立ち入りを避けて、本所権を尊重した。 (2)南北朝期は俗権力がこぞって寺院に軍勢催促をしたため、武門専業の僧侶が登場するなど、顕密寺院の軍事化が急速に進んだ。俗権力は「僧侶は武装すべきでない」という僧徒非武装説を放棄し、兵杖禁止令は消滅した。しかし他方では、禅宗寺院に対する兵杖禁止令が登場する。禅宗寺院の場合、顕密寺院とは異なり、幕府が直接寺内に踏み込んで兵杖を取り締まった。 (3)宗教的暴力の世界では、戒律・禅定・智慧の三学が武器として機能した。そのため武士が日常的に武術に励んだように、僧侶は戒律・禅定の実践によって祈祷力の増大に努めた。こうした宗教的暴力は、内乱や外寇の鎮圧だけでなく、民衆支配のために日常的に利用されていた。 (4)暴力行使にあたっては敵を悪魔・仏敵と断じ、仏敵・神敵の殺戮が国土平安・万民快楽をもたらすと弁じてそれを正当化した。特に聖徳太子による物部守屋の討伐や大乗仏教における「一殺多生の菩薩行」を根拠として、衆生利益のために武器をとり戦うことこそが真の僧侶のあるべき姿である、と主張している。中世仏教は武装や戦争を肯定しただけではなく、衆生利益のための戦闘こそが大乗仏教の菩薩道であると語ってみせた。
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