研究概要 |
江戸の津山藩邸に住んだ宇田川玄随(槐園)・玄真(榛斎)・榕菴・興斎の4代にわたる宇田川家は,江戸幕府の手になる西洋百科事典『厚生新編』の翻訳の主な担当者となっただけではなく,日本における西洋内科学・薬物学のパイオニアとなり,化学や植物学の開拓者となった。また,洋学の積極的な普及と後継者の育成にも取り組んでいる。たとえば,玄真(榛斎)の弟子だけを見ても,箕作阮甫・坪井信道・緒方洪庵といった人物をたちどころに挙げることができる。 幕末から明治にかけて活躍した4代目の興斎ともなると,外交文書の翻訳のほか,英学の導入にも努め,写真術や電信機などの科学的な知識を広く人々に伝える啓蒙家としても活躍している。 その宇田川家について, 1.伝記的な研究、 2.稿本や刊本の所在調査、 3.稿本や刊本の書誌的研究 などを行い,宇田川家を通して,洋学の開拓と需要の具体的な状況を明らかにするものである。 本年は,まず,宇田川榕菴の養子となった興斎についてとりあげた。興斎自身は早稲田大学にある「勤書」を作成していた。それをもとに「宇田川興斎の年代記」を作成した。ついで,榕菴の弟子である伊藤圭介の洋学修学の過程をとりあげた。
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