研究概要 |
本研究では、中国・日本・韓国における最新の発掘資料を加味しつつ、比較考古学的観点から墓制の総合的な分析・検討をおこなった。具体的には、1.魂魄説(古代中国人の死生観)の解明、2.古代葬制の交流、3.東アジア墓制の重要な事象である木槨墓の成立と地域伝播、4.大型墳墓の出現と社会変動および巨大古墳の形成と変遷の意義について、5.装飾壁画墓の東アジア的展開、6.古代聖域の方位と景観、の6つの論点を設定した。2は埋葬施設、副葬品、埋葬頭位、赤色顔料の使用と廃絶などの古代東アジアの葬送儀礼に共通する要素に注目した。5では中国壁画墓の形成と展開過程を明らかにしたうえで、その影響が高句麗の壁画墳や朝鮮半島南部、日本列島にどのように波及したかを考察した。6ではGPSによる中国都城と陵墓の位置関係にかんするデータをもとに、中国文明の死生観や宇宙観の復元をめざした。 中国と朝鮮・日本との間の人的交流や技術・文物・諸制度の導入は紀元前1世紀ごろの楽浪郡設置以降盛んになった。冊封体制下に入った高句麗,百済,倭,伽耶,新羅などの周辺諸国には青銅・鉄製武器や鏡など様々な威信財が伝来し、遠距離交易や手工業生産がおおきく発展した。このような国際情勢や地域編成の変化の結果、地域王権の象徴である大型古墳の登場が促され、高句麗・百済では方壇階段石室墳、倭では前方後円墳が創出された。本研究では中国壁画墓の意匠と地域波及を系統的に把握することにより、海を介した対外交渉と内的発展とが相関しながら独自の歴史的な生成をなしてきた古代東アジアの原像をより具体的に描くことができたと同時に、本研究の分析視点の有効性も実証できた。今後も中・日・韓地域で年々増加する古代墳墓の発掘資料を収集し、緻密な考察・分析を積み重ね、葬送儀礼の背後に潜んだ人とモノの動きを探りながら、新たな文化が受容された過程を提示したい。
|