研究課題/領域番号 |
14510513
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
英語・英米文学
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研究機関 | 名古屋大学 |
研究代表者 |
鈴木 繁夫 名古屋大学, 国際言語文化研究科, 教授 (50162946)
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研究期間 (年度) |
2002 – 2003
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研究課題ステータス |
完了 (2003年度)
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配分額 *注記 |
1,500千円 (直接経費: 1,500千円)
2003年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
2002年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | 科学経験主義 / ミルトン / 『失楽園』 / 懐疑主義 / 実用主義 / ルネサンス宇宙誌 / 表象 / 語りの手法 / ルネッサンス宇宙誌 / 語りの手紙 / 科学実験主義 / 事実主義 / 新世界発見 / 語り手 / 驚異 |
研究概要 |
『失楽園』の表層では、ある対集をひとつの枠組みに整合性をもってまるめこもうとする回収への意思が、有機的で統一された教義と静的な道徳に凝縮させている。その一方で、創造の逸脱は反作用として機能し、この詩を不安定でアモフォラスな世界にしている。具体的にいえば、「謙虚にして賢明であれ」と教える実用主義は、知というものを、被造物への過度な関心と熱烈な探求をそぎ、被造物の創造主(教義)への賛美(道徳)として閉じこめる。しかし実用主義を登場人物に語らせる叙事詩の語り手自身は、常識を超えた数々の被造物に言及することで、過渡と熱烈さをもっていることを露見してしまう。そして皮肉なことに、回収と逸脱の力動的関係という表層下には、語られている内容をささえる大きな枠組みが無条件に根拠づけられている。この大枠組み(土台)への深い確信(疑い欠如)が、最終的に『失楽園』のなかのすべてに事象や出来事を、ある構造・理念・意味づけのなかに封じこめるように機能してしまっている。回収への意思と詩的創造による逸脱との拮抗は、超越的な外部という舞台で起こるたんなる一つの事象という最終的信念によって抱摂されている。本来は異物である新世界の驚異すらも、神による被造物、語りうる対象として占有する語り手の態度である。この語り手は、聖書の記述の正しさを確信しているというよりは、聖書の記述を読んで解釈するその解釈の正しさと、解釈する自分自身の正当性とを確信しているからこそ、占有できるのだ。この懐疑欠如こそ、ピューリタン・ミルトンとは対極に立つカトリックのモア、モンテーニュの護教的懐疑である。実験科学を推進した実用主義者のなかに潜勢的にある、ネオ・ピュロン派懐疑主義、つまり科学ですらも経験だけに基づき経験によって検証される仮説的体系という懐疑の余地を残す考え方からすれば懐疑が不徹底なのだ。
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