研究概要 |
本研究では,18世紀および19世紀の反ユダヤ主義文献において,ドイツ人著者らが,ユダヤ系市民を嘲笑するために意図的に利用したドイツ語表現について,そのイディッシュ語との関連を調査した.研究対象としたデータ中から,幾つか興味深い例が認められた.たとえば18世紀末の反ユダヤ主義的な戯曲において,ユダヤ人主人公は,標準ドイツ語のgarにたいしてgorを,またhabeにたいしてhobを口にしている.また文法的には,助動詞と本動詞が並んで使われている.現代ドイヅ語の特徴のひとつが,いわゆる枠構造である.すなわち助動詞は2番目の要素を占め,それと対になる本動詞は文末に置かれる.しかしながらイディッシュ語では枠構造は見られない.イディッシュ語は,むしろ現代英語に似た語順を示す言語なのである.したがって戯曲において,「ユダヤ的な語法」が意図的に使われていることが分かる.そのような「ユダヤ的な特徴」としては以下が挙げられる. 1.aの代わりにoを用いる(独語hat,イディッシュ語hot,英語has) 2.eの代わりにai(geht,gayt,goes) 3.oの代わりにau(kosher,kausher,kosher) 4.ヘブライ語やスラブ語の単語を交える(Tate父親) 5.文法の変更(主節と従属節の両方で「主語-動詞-目的語」の語順) しかしながら,上の表現が実際にイディッシュ語で用いられる表現であると言うわけではない.反ユダヤ主義文献の意図は,主人公が明らかにイディッシュ語,ないしイディッシュ語訛りの言葉を使っていることを明示することにある.そのためには,当時,ドイツ系市民に特に「ユダヤ的」と受け入れられていた語法を,積極的に用いればよかったのであり,逆に強調する必要があったのである. これらの「ユダヤ的特徴」を登場人物の言葉に散りばめるというテクニックは,同時代の反ユダヤ主義者にひろく用いられたものであった.このテクニックを機械的に適用しても,「正しい」イディッシュ語にならない.しかしながら,このテクニックは,話し手の「ユダヤ性」を強調するのに多大の効果があった. 本研究では,18,19世紀ドイツの文学,演劇,あるいはジャーナリズムにおいて,反ユダヤ主義が,いかにイディッシュ語を利用したかについて考察を行った.その典型として,Sessaの例を取り上げ,またその現象的な解説をも提示した. 収集したデータから,現象的な解釈を越え,より一般的な傾向を求めることができるかが,次のステップとなるが,今回の研究では,そこまで掘り下げてはいない.それは今後の課題とし,次のステップに向けて,データおよび,集められた変量の整理,さらには変量間の関係を明らかにするもっとも有効的な計量的分析手法の検討,あるいは開発を目指したいと考える.
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