研究課題/領域番号 |
14520011
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
基礎法学
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研究機関 | 熊本大学 |
研究代表者 |
若曽根 健治 熊本大学, 法学部, 教授 (40039970)
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研究期間 (年度) |
2002 – 2004
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研究課題ステータス |
完了 (2004年度)
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配分額 *注記 |
2,800千円 (直接経費: 2,800千円)
2004年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
2003年度: 1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
2002年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
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キーワード | 贖罪(贖罪金) / 刑罰(刑事刑) / ウァフェーデ(復讐断念誓約) / 恩赦 / 穢れ / 神の怒り / 賠償 / 殺人の和解 / ウァフェーデ / 謝罪 / マクデブルク審判人 / 儀礼的交換 / ビッグ・マン / 紛争処理 / 贖罪書 / 人命金・贖罪金 / 公的刑罰・刑事刑 / 贖刑 / 子殺し / 欺圧 / 伸冤 / 血讐 / 客人 / フェーデ / アジール / 巡礼行 / 和解 / 多元的法体制 / 法文化 |
研究概要 |
「贖罪と刑罰」の問題は人類史上、社会と文化とに<埋め込まれた>存在である。この点では、他の諸問題と比べて、格段の重みを持っていた。「贖罪と刑罰」は種々の文化要素、宗教、呪術、法、経済、権力、裁判、習俗などと深く結びついていて、容易に分け難い存在であった。 始原的には、「贖罪」は宗教、呪術と結びついており、非行によって生じた共同体の穢れを払い、神の(神神の)怒りを解くための、共同体内部的儀式として営まれていた。従って、いわば「内部的」刑罰-「国津罪」の系統に属していた。 「贖罪」思想をこうした宗教的違反、軍事的違反、性的タブー違反の系列(穢れの思想)から解放したのは、ヨーロッパ中世初期(8-9世紀)において裁判権力者の、地域における「平和」維持の志向であった。この志向を背景になって、裁判不出頭者や判決不服従者にたいする「アハト」(追放)の刑罰(公的刑罰)が登場してきた。 こうして「贖罪」観念はヨーロッパにおいてしだいに個人主義化し、世俗化する。非行者本人が謝罪をおこなったり、非行者の親族友人が放免を請願したりすることを契機に、裁判権力者は非行者を恩赦に付したり、巡礼行を課したりして、刑事司法の中に、新らしい意味の「贖罪」観念を導入していった。 中世後期から近世初期の時代(14世紀から17世紀)には、糺問的職権的司法がしだいに広がっていくものの、いまだ当事者主義裁判が影響力を行使していた。糺問的職権的司法が制度的定着を見る以前の、刑事司法のきわめて流動的、混乱的時代に、当事者本人の「贖罪」思想を背後にした、殺人の和解やウァフェーデの誓約がある一定の役割を果たしえたのには、理由があった。
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