研究概要 |
ネパールの民主主義は,3つのレベルで評価しなければならない。理念としての民主主義は,最右翼の主党派から,中間のコングレス党や統一共産党,そして最左翼の毛沢東派共産党(マオイスト)まで,みな一致してその正当性を認めている。次に,制度のレベルで見ると,1990年憲法体制は先進諸国と比べほとんど遜色ないものであり,マオイストを除けば,どの主要政党もその正統性を認めている。ところが,運用のレベルで見ると,ネパールの民主主義諸制度は,その理念型とはほど遠い機能しか果たしていない。民主主義の理念は受容され,制度も整っているのに,実践が伴っていないのである。 民主主義運用の実践知が生育しない最も根本的な原因の一つは,ネパールの国教であるヒンズー教の強力な運命論(fatalism)にある。運命論は,民主主義の大前提である「独立の個人」の存在を困難とし,民主主義運用の実践知が生育する前提条件を奪ってしまっている。もしネパールが,このまま1990年憲法規定の民主主義を政治目標とし続けるのなら,この運命論の問題を避けて通ることはできない。逆に,もし運命論がネパール文化の核心であり,変えられないのであれば,ネパールは別の形の統治を政治目標とせざるを得ない。 ネパールの市民,政治家,そして知識人ですら,この根本的問題をこれまで直視せず,回避してきた。そのため,実践知なしの1990年憲法体制は運用に行き詰まり,それを背景にマオイストの人民戦争が拡大し,いまやネパールは国家破綻の瀬戸際にある。 ネパール国民はむろんのこと,ネパール危機に対処しようとしている国際社会もまた,民主主義におけるこの「人間の問題」を直視せざるを得ない状況になっている。本研究は,こうした観点から,ネパール政党政治の現状分析を行いつつ,ネパールの人間論的特質と政治との関連および問題点を解明した。
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