研究課題/領域番号 |
14520103
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
政治学
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研究機関 | 熊本大学 |
研究代表者 |
大澤 博明 熊本大学, 法学部, 教授 (70213684)
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研究期間 (年度) |
2002 – 2003
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研究課題ステータス |
完了 (2003年度)
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配分額 *注記 |
2,700千円 (直接経費: 2,700千円)
2003年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
2002年度: 1,700千円 (直接経費: 1,700千円)
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キーワード | 日清天津条約 / 日英清提携 / 天津条約 / 通商的外交観 / 陰謀史観 |
研究概要 |
本研究によって以下のことを明らかにすることができた。 第一に、日本の東アジア政策に関する時期区分の問題である。日清戦争前の議論では、一八七三年から九四年までは穏健な対外政策の時期であると理解されていたことである。 第二に、天津条約は穏健な日本の東アジア政策の確立指標であり、天津条約以降の東アジア政策が日英清提携を以てする国際協調策であると理解されていたことである。 第三に、日本政府が、日清共同朝鮮内政改革は天津条約の精神に沿うものであり日英清提携を強化するものとして政策的継続性を主張していたことである。 第四に、天津条約の拡張解釈としての日清共同朝鮮内政改革論は、当時にあっても国際的に認知されなかったことである。 第五に、清国中心の東アジア秩序を肯定する側は、日本の共同改革提起をまともに受け止めず無視した。このことが、それまでの日本の国際協調を全て偽りのものであったと捉え返す視点を生み出し、開戦は日本の長期にわたる陰謀の結果に他ならないという説明を改めて浮上させた。こうした日清戦争開戦期から台頭した理解は、その後、それを裏付けるかのような日本の帝国主義外交の展開、更には、日清戦争を「必然」とする左翼のマルクス主義歴史観と当然とする右翼の大東亜新秩序論によって強化され、今日まで再生産され続けた。以上、日清戦争前と戦争後では、日本の東アジア政策像が全く逆転してしまっていることが確認できた。一貫して朝鮮侵略を目指したとする日本外交像は、日清戦争前に日本人が抱いていた自己理解とはかけ離れたものであり、また同時代の国際的理解でもなかったと言うことができる。
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