研究概要 |
1934-37年間の日中関係を大きく規定したのは、侵略と抵抗といった構造的対立のほかに、国際的にはソ連要因があり、中国国内的には中国共産党要因があった。従来の研究に見落とされた、または政治的な考慮から回避されたこの二つの要因、及びそれを巡る日中両当局の齟齬という新しい視角からこの時期の日中関係を再検討し、日中戦争への過程を見直すことが、本研究の目標である。 この目標の達成を目指して,2002年4月からの3年間,筆者は日本および中国大陸・台湾等の資料機関と研究機関での研究調査を繰り返し,多くの一次資料を発掘できた。それに基づいて,これまで、「蒋介石の中日ソ関係観と『制露攘日』戦略」、「『防共』問題を巡る日中間の相克」、「中国の国際的解決構想と日中戦争の拡散」といった論文と報告を作成し、学術誌や国際シンポジウムなどで発表し、反響を呼んだ。そして、最終年度には、「研究成果報告書」を兼ねて、上記の既成論文と未刊行の論考をもとに、18万字にのぼる著書の原稿を完成した。 これらの成果は、中日ソ矛盾の特殊的構造と外交戦略に関する蒋介石の構想を究明した上、国民政府の外交方針に「以露制日」と「以日制露」という両側面が共に存在していたという新しい論点を提示し、中国当局者が1933年から既に「連ソ制日」に傾斜したという通説を訂正した。また、蒋介石と汪精衛の権力闘争ばかりに注目した従来の研究に対して、筆者の研究は「連ソ論」を巡る蒋、汪の異同に対する考察を通して、国際情勢観と外交方針における二者の対立を明らかにし、1938年に起きた蒋、汪分裂の遠因を示した。なお,この3年間,筆者は本研究のテーマの他、幾つかの関連論文を発表し,研究者としての視野と領域を広げた。 これから,上記の成果を礎に、論点をさらに推敲し,論拠をさらに充実し,欠けている部分を補足して,著書が早く出版できるように,頑張っていきたい。
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