研究概要 |
第二次世界大戦中.ベルギーのロンドン亡命政府は,戦後における経済再建と国際政治における発言力の確保は自国のみでは無理であることを理解し,同じ低地諸国のオランダとルクセンブルクとの経済同盟を目指すことになった.このベネルクス三国はすでに1930年代の大不況期にウーシー協定を締結したがイギリスの反対に遭い挫折した経験を持つ。 戦争中,ロンドン亡命政府は職後再建構想を作成していくが,その際,占領下のベルギー国内における地下研究組織による研究成果が重要な資料となった。亡命中のベネルクス三国は通貨協定(1943年),関税協定(1944年)を締結し,戦後は資本や労働力の移動も自由な経済同盟を設立することになった。 戦後の西ヨーロッパにあってベルギーとルクセンブルクはきわめて順調に復興したが、オランダは極めて困難な経済状況にあった。このため,関税同盟はようやく1948年1月に発足した。しかも,1949年からの予備同盟は機能せず経済的障壁は高いままであった。 しかし、1950年代に入るとベネルクスの内と外の状況が大きく変化してくる。まず、ネーデルラント経済がようやく回復し,三国間の経済格差が縮小した。1950年代半ばまでに3国間の経済的な障壁も税制や農業分野を除いてほぼ消滅させることができた。こうして、1958年に調印されたベネルクス経済同盟はEECの内容を先取りするモデルとして、またEEC内における小国の発言力を確保する機関として歴史的意義を持ったのである。
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