研究概要 |
本研究は,1880年代に初等・中等学校での科学教育が開始された時,ニュートン科学とその粒子論的な物質観の教育がおこなわれたことを,実験教材の追跡をとおして明らかにした。 当時使用された,英国,米国の教科書の多くが,それらの科学をとりあげていたからだけではなかったのである。 また,明治初期に,そのような科学の教育が実現できた背景には,江戸時代末期に移入された科学があったとこを明らかにした。つまり,オランダ経由で,移入された物理科学は,ニュートンの力学と同時に,ニュートンの粒子論的な物質観(『光学』第二版,1717)にもとづく実験をふくむものだったことである。つまり,ス.グラーフェザンデや,P.v.ミュッセンブルックらの科学書が,J.T.デザギュリエを筆頭とする18世紀ニュートニアンになる科学と同じ内容をもっていたのである。そのことを,力学実験,凝集力実験などについて追跡した。 この研究では,同時に,J.T.デザギュリエによる科学の公開講座が,ヨーロッパ,ことにオランダに波及していった歴史を追跡する必要があった。その調査によって,ヨーロッパに広がった科学啓蒙活動では,ニュートン力学,ニュートンの粒子論だけでなく,火力,蒸気機関や気球の可能性を追求する活動と無縁ではなかったことが明らかになった。そのことが,日本の科学教育の思想にあたえた影響は無視できないが,それが,教材にまであたえた具体的な影響については,今後の研究課題として残すことになった。 その成果は,国際科学機器シンポジウムでの発表'The Reception of Newtonian Corpuscularism in Japan -A case study of Experiments on Cohesion of Matter -.','The Introduction and diffusion of Atwood's machine in Japan',および『理科教室』誌上での連載「たのしい科学を切り開いた科学者たち」として報告したが,最終的に『たのしい科学の講座を開いた科学者たち』(星の環会,2004)にまとめることができた。
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