研究概要 |
本年度は最終年であり,これまでの研究で得た新たな知見を踏まえてロシア,清,オイラト勢力が絡み合う18世紀中央ユーラシア史の複雑な様相を総括的に解明した。研究の最大の焦点はキャフタ条約であった。この条約は露清の2国間関係の中ではネルチンスク条約に続く二つ目の条約として,前者に比べるとその重要性が十分に認識されてこなかった。そして,この条約が締結された背景にあるとされるオイラト勢力(ジューン=ガルやトルグート)との関係も十分には解明されてこなかった。キャフタ条約は,露清の特殊な2国間関係に起因する複雑な締結交渉の過程と,締結前後のオイラト勢力と清、ロシアの入り組んだ相互関係によって,条約締結直後の清側によるロシア側文書受領拒否事件に象徴されるような一見奇妙とも思える事態を招いた。その後、キャフタ条約締結以前には実現しなかった清とジューン=ガルとの国境画定が1739年にようやく実現し,この地域の情勢は安定に向かうかと思われたが,1750年代のジューン=ガルの混乱とそれに乗じた清による征服によって事態は一変,これを背景として1768年にキャフタ条約追加条約が締結された。従来の露清関係史の枠組みでは「ネルチンスク=キャフタ条約体制」として、17世紀末-18世紀前半から両勢力が安定的な関係に入ったとされてきた。しかし,ジューン=ガル滅亡から間もなく条約追加条約が締結されたことに象徴的に表れているように,オイラト情勢を考慮に入れた場合,「キャフタ条約体制」の完成は18世紀後半とするべきである。そしてこの体制によって確定した国境線は現在の中央ユーラシアの政治的枠組みの基礎になっていることも無視できない。キャフタ条約の締結は18世紀中央ユーラシア史における極めて重大な事件であったと言える。以上が本研究の一つの結論であるが,現在執筆中の複数の論文にこれらの内容は盛り込まれる予定である。
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