本年度は前四世紀東地中海世界におけるギリシア人傭兵の行動原理を分析してギリシア史上における彼らの位置を明らかにした。傭兵の行動原理は元来略奪・敵前逃亡・裏切りなどいわゆるポリス市民的道徳とは対極に位置づけられてきた。傭兵自体がポリス市民軍の衰退した形態とされてきたためである。しかし彼らが一概にポリスの経済的没落民と言えなくなってきた中で、彼らの行動原理にも再考の余地が生まれた。古代史料は一般的に彼らの行動に好意的でなく、しばしば彼らの逃亡・裏切り・ペルシアなどへの従軍を非難する。しかし利益獲得を最優先課題とする彼らが命を落とす前に逃亡するのは当然の行為である。敵方の提示した利益がさらに大きい場合に寝返りを行うのもある意味自然なことである。ペルシアなど異種族への従軍についても同様なことが言える。近年の研究によってギリシア人のペルシア文化受容はかつて考えられた以上に活発であったことが明らかにされた。職人や商人レベルではギリシアとペルシア間には活発な交流が前五世紀段階からあり、傭兵もかかる延長線上でペルシアに流入したに過ぎない。ギリシア人傭兵は利益追求を冒険しながら求めていた。 ひるがえってポリスの本質を考えれば、市民団特有の閉鎖的特質とそれに矛盾するかのような開放的特質とが存在する。ギリシア人は他者に容易に市民権を開放しなかった。しかし冒険を伴う交易や植民などを行い、他者とも活発な交流を行うことで独特のギリシア世界を構築していった。前四世紀東地中海世界におけるギリシア人傭兵の活動はポリスの衰退から起こったのではなく、ポリスの持つ開放的特質の上で発生したものと考えられる。
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