昨年度に引き続き、各遺跡出土の下駄を実見し、写真撮影を行った。本年度は北陸、北部九州を中心として行った。 観察の結果、福岡市所在博多遺跡出土下駄に関して興味深い成果を得た。博多遺跡では14世紀から15世紀代頃の下駄が出土している。通常この時期の下駄は連歯下駄を主体とし、これに露卯下駄が1割ほど加わり、陰卯下駄はほとんど見られない。しかし、博多遺跡で出土する下駄の多くは陰卯下駄である。全国的には中世における陰卯下駄の割合は5%程度であるが、そのほとんどが博多遺跡出土のもので、圧倒的な出土量を誇っていることが指摘できる。 また通常の陰卯下駄は台板に溝を彫り、歯を差し込むだけの単純な構造をもつが、博多遺跡の陰卯下駄は歯を固定するために木製の楔を打ち込む。陰卯下駄に限らず露卯下駄でも歯を固定するため、鉄釘を打ち込むものは他の遺跡でも若干認められるが、木製の楔を用いたものは博多遺跡周辺の遺跡以外には存在しない。また例外はあるが、基本的には前・後歯ともに2枚ずつの木製楔を用いるという、定型化した製作技法により下駄が作られている。 この他、製作技法に関して言えば、壺穴の穿孔法にも特徴がある。中世には壺穴を焼火箸により穿孔するという方法が散見されるが、他の穿孔法に比べ必ずしも多いというわけではない。しかし博多遺跡出土の陰卯下駄のほとんどすべては、壺穴を焼火箸により穿孔している。ここにも定型化した製作技法を見ることができる。 このように博多遺跡出土の下駄の観察により、明瞭な地域性が認められること、中世後半期の段階にすでに、専業化した職人の存在を想定することができ、大きな成果を挙げることができたと言える。
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