本年度は大学セクターの論文生産の内部構造の詳細な分析を行い、政策との関係を検討した。大学セクターからの論文生産を世界シェアでみると、1980年代から次第に増加し、1991年以降は多数の大学からの論文生産が急激に増加し、1999年にピークを迎えていることがわかった。特にこの間に増加したのは、分野ごとの引用ランキングで上位75%-100%(すなわち、ほとんど引用されていない論文)である。本研究では論文生産者の集中と分散の推移を明確に計測するために、Herfindal指標を用いて全論文や引用数上位10%論文に限定した場合の論文生産者の集中度分析を行った。その結果、分散傾向は1980年代に始まり1996年までに分散傾向が収束し、それ以降は論文生産数で上位に入る少数の大学のシェアが拡大していることが明らかになった。これは第一次科学技術基本計画により、競争的資金が増加した時期と一致する。また、国立大学を対象にして、論文生産性とその他のインプット指標との相関分析を行った結果では、博士課程学生数および外部研究費獲得額が0.9以上の極めて高い相関を示した。1980年代から1990年代半ばまでにかけては、研究費の漸増、1991年以降の大学院生の急激な増大、自己点検・評価の導入による定期的な研究出版への圧力、国際学術誌への論文投稿の増大などの環境要因が、様々な大学の教員が国際誌への論文生産を増すことに影響したと考えられる。しかし、1996年以降、公的研究費が急速に拡大したにもかかわらずそのおよそ半数が上位8大学に集中しており、また、上位大学の博士課程学生数が増大しつつあることにより優秀な学生が偏在し、また自己点検・評価導入の初期効果が減衰していくことなどによって、論文生産者の分散化傾向は収束し、上位大学における引用数の高い論文の産出増加の傾向が顕著になりつつあることが実証的に明らかになった。
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