研究課題/領域番号 |
14J01264
|
研究種目 |
特別研究員奨励費
|
配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 国内 |
研究分野 |
日本史
|
研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
黒羽 亮太 京都大学, 文学研究科, 特別研究員(DC2)
|
研究期間 (年度) |
2014-04-25 – 2016-03-31
|
研究課題ステータス |
完了 (2015年度)
|
配分額 *注記 |
1,900千円 (直接経費: 1,900千円)
2015年度: 900千円 (直接経費: 900千円)
2014年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
|
キーワード | 日本古代史 / 平安時代 / 山陵 / 天皇陵 / 陵墓 / 寺院 |
研究実績の概要 |
本年度は、昨年度の研究の進展も踏まえつつ、主に以下の点を中心に研究を進めた。 第一は円融寺について。円融寺は円融天皇が建立した御願寺であり、「円融院山陵」等と呼ばれる天皇家一門の墓所を管理した寺院であったことは既に明らかにした。この点を踏まえ、昨年度の浄妙寺に関する成果を合わせて考察し、これが円融天皇により陵墓群の管理のために建立された寺院であり、自らそこに起居することで陵墓群の管理者の立場を明確にし得たこと、それら陵墓群が代々の天皇陵を含むことで、彼の皇統が兄冷泉天皇の皇統に対して優位な立場を獲たことを明らかにした。また円融寺以外の三円寺についても検討し、それら寺院と円融寺の連続性を指摘した。とりわけ円宗寺は、先行研究において法勝寺との連続性が強く指摘されてきたが、円宗寺最勝会が後三条天皇崩御後間もなく途絶したこと、当初白河天皇が円宗寺を軽視したため、嘉承2年まで円宗寺は堂舎が転倒していたこと等を明らかにした。この点は、すでに論文として公表した。 第二に陵墓と寺院の関係について。昨年度までの研究においては、11世紀以降に置かれる天皇陵がみな〈寺陵〉、ないしそれに准ずるものであったことを明らかにしてきたが、ここでは、11世紀以前に設置された山陵が〈寺陵〉化する様相を具に明らかにした。また平安前期の山陵制度の転換点を検討し、これまでも注目されてきた嵯峨・淳和両太上天皇の薄葬に関する史料を丁寧に読み直すことにより、それまでの天皇は譲位してもなお帝王であり、山陵を作らねばならなかったのに対し、嵯峨・淳和は、譲位して上皇になることにより、帝王ではなくなり、山陵を作らなくてもよくなったことを明らかにした。加えて、文徳天皇の山陵政策を取り上げ、これが唐皇帝のそれに倣ったものであることを発見した。この点については、すでに国外で報告したが、近く国内でも報告、活字化を期す。
|
現在までの達成度 (段落) |
27年度が最終年度であるため、記入しない。
|
今後の研究の推進方策 |
27年度が最終年度であるため、記入しない。
|