研究実績の概要 |
本年度はベトナム語で“Hai qua chuong duc tai Phat Son (Quang Dong) duoc luu giu o Lang Son va Cao Bang” (Thong bao Han Nom hoc nam 2015, Ha Noi: Nxb. The gioi, 2016)と題する論説を発表し、北部ベトナムのランソン省とカオバン省に残る広東省仏山鎮製の鐘への分析を通し、17~18世紀における北部ベトナム~中国広西間の中国商人の活動を論じた。 また第五回ベトナム学国際会議では"Late Fifteenth-century Envoys Dispatched between Dai Viet and China and their implications”と題する発表をおこない、15世紀後半に広西の土官によるベトナム使節に対する妨害事件が頻発していたこと、およびその背景などを論じた。 またゾミア研究会(京都, 京都大学, 2017年2月3日)では「十八世紀のベトナム黎鄭政権と諒山地域―藩臣集団の祖先移住伝承に関する分析を中心に―」と題する報告をおこない、(1)諒山地域の首長五集団の祖先移住伝承では、始祖が黎朝の創建に貢献し、黎朝皇帝から諒山守備の命を受けて移住してきたという点が共通している。(2)そのうち一部の首長の場合は、18世紀後半の黎鄭政権に対する首長自身の上申に登場し始める。これは、ベトナム王朝との結びつきを自らの権威の源泉とすることを選択した首長層が、黎鄭政権に接近する際に採用したのが上述の祖先移住伝承だったことを示唆する。(3)18世紀半ば諒山地域では動乱が頻発して首長たちも危機的状況に置かれていたという状況があり、その状況下で首長集団も自身の地位を守るために黎鄭政権に接近しようとしていたのではないか、などの点を論じた。
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