ヒトの身体の冗長性に起因する運動制御の不良設定問題はベルンシュタイン問題として知られている。この問題を解決する上で、筋群間の協調作用(筋シナジー)は重要な手掛かりとなると考えられている。そのため、数多くの神経科学者が筋電位(EMG)から筋シナジーを抽出することで、ベルンシュタイン問題の解決を試みている。しかし、運動制御の分野で重要な概念である平衡点や剛性といった制御変数と筋シナジーの関係は不明瞭である。 こうした中、申請者は、EMGを平衡点と剛性の情報に分離した上で筋シナジーを抽出することで、筋シナジーが平衡点や剛性の制御に果たす役割を明確化できるという着想に至った。そこで、申請者ら独自の技術を用いて、平衡点や剛性の制御に果たす役割が明確な筋シナジーを抽出し、歩行、走行、坂道歩行における筋シナジーの不変性を検証することを目的とした。 筋シナジーの生成原理の解明の研究として、8名の被験者から歩行、走行、坂道歩行中の筋シナジーを抽出し、筋シナジーが平衡点や剛性の制御に果たす役割を定量評価した。その結果、これらの下肢運動は被験者間、タスク間で不変の2つの筋シナジーで表現でき、それらの筋シナジーはそれぞれ股関節を中心とする極座標系において足先平衡点を動径方向と偏角方向のみに変動させる機能を有することが明らかになった。この結果から、被験者が不変の筋シナジー用いて多彩なタスクを実現していたことが示唆される。また、筋シナジーが平衡点の制御に果たす役割が明確であることを利用し、走行中の足先平衡点軌道を推定し、その妥当性を検証した。さらに、その生成原理を考察し、走行速度から足先平衡点軌道を予測できることを示した。これらの結果は、ヒトの運動制御において重要な概念である筋シナジー、平衡点、剛性の観点から下肢運動を説明したもので、ヒトの運動制御をより深く理解するのに有用であると考えられる。
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