今年度は先ず、ここ数年の研究の総決算として、ベールイの三つの自伝的小説を、隠喩的文体から換喩的文体への移行過程として再検討した。その結果、それは自己の生涯を人智学によって再解釈(再創造)するという目論見が、徐々に破綻していく過程であった、ということが明らかになった。当初の構想が破綻した理由としては、ベールイと人智学協会との間に生じた感情的齟齬だけではなく、至る所に二律背反を見出し、そこに弁証法的契機を見ようとする彼の二元論的志向が、シュタイナーの三元論的体系と矛盾を来すようになった、という思想上・創作上の対立があった。 これとは別に、今年度はベールイの『旅行記第一巻 シチリアとチュニス』『アフリカ日記』を素材にして、オリエンタリズムという観点からも、彼の創作について研究した。この二つの旅行記は、彼が人智学協会に入る直前に旅行したイタリア、北アフリカでの見聞を基にして書かれているが、推敲・出版がなされたのは自伝的小説が書かれたのと同時期であるため、図らずも同じ問題意識を持った作品となっている。これらの旅行記を分析することで、ベールイが非ヨーロッパ文化の中にも二律背反を見出し、しかもそれを克服する手掛かりを現地の民衆芸術の中に求めていたことが分かった。つまり彼は同時代の多くのヨーロッパ人とは異なり、アラブ人やベルベル人といった他者の中に「オリエンタル」なもの―自己の欲望の反映―を見ようとするのではなく、近代ヨーロッパの行き詰まりを打開する文化的可能性を認めようとしていたのだ。しかも旅行記においては、その発見が文体的実験と固く結びついている。 このように、自伝的三部作と二つの旅行記を言語論という観点から見直すことで、後期ベールイの活動を理論と創作との相互作用として、より有機的に捉え直すことが可能になった。ここからベールイの全活動を再検討することが、私の今後の課題である。
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