『東医宝鑑』医学体系における養生と修養の思想
『東医宝鑑』は、朝鮮の宣祖が宮中御医である許浚をはじめ、医官たちに医書編纂の勅命を下したことにより誕生した文献である。宣祖が許浚に医書編纂の任務を任せる際に求めた三つの精神は、以下のようである。第一に、修養を先にして薬物治療を次にすること。第二に、中国医薬書が繁雑であるから要点を整理すること。第三に、朝鮮では薬材が多く産出されるが、一般百姓には知られていないので、薬材を種類によって分類し郷薬名を付けることで誰もが分かるようにすること。この三つの精神は、『東医宝鑑』の基本趣旨だといえる。この内容から、朝鮮社会に修養を通じて心身を治める文化がすでに定着していたことが分かる。薬物治療よりも心身修養をより一層重視する養生の思想は、中国古代の『黄帝内経』以来、多くの医家に共有されてきた思想的伝統である。これは、精神の修養を重視するという意味として『淮南子』などの黄老系列文献から「養神」或いは「養性」という用語で論じられている。『東医宝鑑』内景篇は、『黄帝内経』などの中国医書はもちろん様々な道教経典から「形気之始」の宇宙論を始め、天人合一・以道療病・虚心合道・保養精気神・養性禁忌などの道家的治身論をまとめている。一方、宣祖が下した勅命の中で国内産薬材の名称と用法を百姓に知らせて、自ら自分の体を治めるようにするというのは、朝鮮社会において郷薬処方の体系化とともに誰もが自国産薬材を持って養生を実践する医療文化を作る起点であったといえる。また、中国の医薬書を整理するというのは、朝鮮が中国から伝来した医薬知識を独自に再構成しようとした動きを意味する。そこで、『東医宝鑑』が養生の思想に基づくようになった社会的背景、編纂に関わった人物たちの生涯と業績、出典文献とその性格を分析する。また、『東医宝鑑』が道教的人体観をどのように表現したのかについて論ずる。
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