研究課題/領域番号 |
15500659
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
科学社会学・科学技術史
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研究機関 | 広島大学 |
研究代表者 |
市川 浩 広島大学, 総合科学部, 教授 (00212994)
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研究期間 (年度) |
2003 – 2005
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研究課題ステータス |
完了 (2005年度)
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配分額 *注記 |
3,600千円 (直接経費: 3,600千円)
2005年度: 1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
2004年度: 1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
2003年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
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キーワード | 旧ソ連邦 / 冷戦 / 科学者 / 軍事研究 / スターリン体制 / 物理学 / 数学 / 工学 |
研究概要 |
本研究においては、冷戦初期の旧ソ連邦を対象に、"冷戦型科学・技術体制"が形成される過程において科学者たちの行動がはたした役割とその背景を明らかにすることを目的に、数次にわたる現地での資料調査をはじめ、文献探索、資料分析をおこなってきた。その結果、以下のような結果をえた。 (1)計算機開発を担当していた機械技術者は、軍部の砲兵部門の要求を背景に、機械式の専用計算機にこだわりをみせていた。一方、核開発に動員された数学者たちは、汎用高速電子計算機の開発を渇望していた。ラヴレンティエフら後者のグループは、政治的指導部に自分たちのパトロン(この場合はフルシチョフ)を見いだし、その影響力を利用して、ブルーエヴィチら古い計算機技術者を排除することにようやく成功した。 (2)1948年秋、科学アカデミーでは(1)観念論の克服、(2)実践からの研究の遊離批判、(3)対外拝跪主義の払拭を課題する討論が組織された。本研究では、物理学分野、物理化学分野における討論を検討した。(1),(2)の課題については、科学者たちは充分説得的な反論材料を用意しており、重要な争点とはならなかった。唯一、(3)の論点については、科学者は打撃的な負の影響をうける。それは、党の科学行政家たちが、科学者のなかにある対外依存の風潮の一掃を政策目標にしていたためであると考えられる。 (3)戦中の劣悪な教育研究条件のなかで、2度にわたる疎開に従った、ほぼ教育専任のモスクワ国立大学物理学部の教員たちと、多くがカザンに疎開した、相対的に恵まれた研究条件をもつ研究者=同学部の兼職教員たちとの間には埋めることのできない溝がうまれていたことを証明し、冷戦初期において、イデオロギー抗争として現象するにいたった科学者諸集団間の確執の原因を探った。
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