研究課題/領域番号 |
15520079
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
美学・美術史
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研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
八木 春生 筑波大学, 大学院・人間総合科学研究科, 助教授 (90261792)
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研究分担者 |
小澤 正人 成城大学, 短期大学部, 助教授 (00257205)
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研究期間 (年度) |
2003 – 2004
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研究課題ステータス |
完了 (2004年度)
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配分額 *注記 |
2,700千円 (直接経費: 2,700千円)
2004年度: 1,400千円 (直接経費: 1,400千円)
2003年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
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キーワード | 北斉仏教美術 / 〓 / 山西地方 / 山東地方 / 都市寺院 造像 / 響堂山石窟 / 天龍山石窟 / 石窟造像 / 都市寺院造像 / 白玉像 / 半跏思惟像 / 天宮式単層塔 / 北斉時代 / 東魏時代 / 仏教美術 / 墓葬美術 / 北響堂山石窟 / 鞏県石窟 |
研究概要 |
本研究(平成15、16年度科学研究費基盤研究C(2)「中国東魏・北斉時代仏教美術にみられる先進性と保守性について」)の目的は、中国東魏及び北斉時代の中でも、とくに後者の時期(550〜577年)において、首都〓を中心として、その領域各地で展開した仏教美術の様相を明らかにすることにある。従来北響堂山石窟、中でも最も早く開窟された北洞こそが北斉時代を代表する石窟であり、領域内の他地方の仏教美術は、その強い影響下に造られたという見方が一般的であった。 だが本研究において、北洞がこの時期必ずしも唯一絶対的な存在ではなかったことや、同じでも石窟ではなく、〓南城の都市寺院造像との間に相違点が見られることが知られた。一方近年大量の仏像が窖蔵より出土した山東省青州龍興寺趾出土の北斉時代の作品は、北洞のみならず〓南城都市寺院造像とも異なる様式、形式を備えていた。また山西地方の造像は、〓仏教美術の影響を強く受けていたものの、それとは異なる形式を造り出し発展させたことが理解された。さらに石窟と都市寺院、〓とその他の北斉領域の造像の間には、北魏時代後期からの伝統をいかに継承し、インドや東南アジアなど西方からの影響をいかに受容するかといった面でもそれぞれ違いが見られる。以上より、造像の目的や地域の独自性を明らかにし、それとの関わりからこの時代の美術の様相を再構築しようとすることが、一部ではあるが達成されたと考えられる。
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