研究概要 |
平成15〜16(2003〜2004)年度における研究で両名の挙げた成果は,以下の通りである。 (1)江戸期から明治期にかけての長崎で伝承され,演奏に供されたことが確実な明清楽関係の工尺譜曲集を検討し,可能な限り五線譜化した。対象としたものは,江戸期では『花月琴譜』(1831年,大坂),『清楽曲譜』(1837年),『月琴曲譜』(1842年),『清風雅譜』(1859年江戸),『月琴詩譜』(1842年,江戸)であり,明治期のものは『西泰楽意』(1887年),『月琴・雑曲・清楽の栞』(1888年,東京),『月琴・俗曲今様手引草』(1889年,東京),『明笛・胡笛・月琴独習新書』(1910年,大阪)等である。着目したのは,工尺譜に対し朱書きで音長・休符などが示されているもの,または五線譜の影響によるものと思われる新種の記譜法によるものである。この結果有意義に五線譜化できた曲は江戸期20曲,明治期19曲であった。 (2)江戸期の工尺譜曲の大部分は清楽曲であるが,この中,長崎で繰り返し演奏されたことが確認されるのは,「九連環」「茉莉花」「算命曲」など短く親しみやすい清国の民謡曲,および「中山流水」などの器楽曲であり,「三国志」など戯曲的で長大な難曲は,楽譜に手がっけられず放置されたことが確認される。 (3)明治期に入ってからよく利用されたことが看取できるのは,長原梅園編『月琴・俗曲今様手引草』であり,この中に採録されている西洋歌曲は,清楽的感性を深く身につけたはずの長原が,あらためて感動し普及を図ったものとして特筆に価する。その代表的なものは,「朝日のひかり」(「蛍の光」),「見わたせば」(「結んで開いて」)などであり,前者はスコットランド民謡,後者はルソーの作曲にかかるものである。また,長崎では工工四譜で書かれた沖縄歌曲も演奏されていた。これらの曲が積極的に受容された事実は,幕末・明治期において,民衆の間に進取的音楽感性が拡大・浸透したことを示す指標となると判断される。
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