研究概要 |
1.史料収集(明末の戸部尚書畢自厳に関する資料のコピーの収集) (1)国内(平成15年度):東京・東洋文庫において畢自厳の専著『餉撫疏草』、『留計疏草』、『回話奏疏』、『撫津疏草』、『督餉疏草』、及び『皇明疏議輯略』所収の彼の奏疏を複写した。 (2)中国(平成15・16年度):北京・中国国家図書館善本部において、日本の研究機関に所蔵されていない畢自厳の著作『遼変会議始末』二巻、『抽簪贅言』一巻、『戸部題名』一巻、『司徒恩遇日紀』二巻、『〓西畢氏世徳家伝』一巻、『〓〓〓議』一巻、『〓泯文武禁約』一巻の概要を把握し、かつ彼の郷里社会との関わり方を表す『〓〓〓議』については複写した。北京・北京大学図書館においては、『戸部題名』不分巻等を閲覧し、本研究の主要史料である『度支奏議』所収の奏疏との重複等を含めて、内容を確認した。 (3)その他、畢自厳の事績を含む明末の財政に関する古典的論文、朱慶永「明末遼餉問題(一)・(二)」(『政治経済学報』1935-36東洋文庫、東京大学東洋文化研究所)を複写した。 2.史料の分析(畢自厳の施策における本拠・論拠の合理性についての特徴) 『度支奏議』「堂稿」部所収の奏疏に記載される約3,500件の数値史料について電算的整理を行った。その結果、戸部尚書畢自厳が扱った兵餉銀の額数の推移をもとに、(1)畢自厳が、崇禎(1628)元年から同2年半ばにかけて、兵餉の運営は辺防一般用の兵餉(「旧餉」)を中心に収入・支出のバランスをとりつつあったが、同2年10月から起こった後金軍の大挙侵攻によって、崇禎3年1月上旬その運営はほぼ完全に破綻する。畢自厳はかかる事態を、周到な計算のもとに太倉銀庫・新餉庫・戸部廊庫等々における銀両の枯渇としてとらえ、かつその積算を通して、遼餉(「新餉」)の追加派三厘を決定した。(2)また、同様の電算処理をもとに「新餉司」「辺餉司」等の分析を加えることによって、当時の財政運営の中で、項目間・地域間の相殺決済ともいうべき処理、例えば「新餉」と「旧餉」、辺境地(陜西)と内地(四川省等)の間の兵餉銀の相殺決済が頻繁に行われていた事実、及びかかる決済が、畢自厳の取り扱った数値の動きを通して、崇禎5年頃から行き詰るようになった事実を明らかにした。 「『度支奏議』と明末の流賊反乱」(2004年度東洋史研究会大会2004年11月3日)
|