研究課題/領域番号 |
15520481
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
考古学
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研究機関 | 国士舘大学 |
研究代表者 |
須田 勉 国士舘大学, 文学部, 教授 (30276448)
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研究分担者 |
森 郁夫 帝塚山大学, 人文科学部, 教授 (50000477)
山中 敏史 奈良文化財研究所, 集落遺跡室, 室長 (90000504)
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研究期間 (年度) |
2003 – 2004
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研究課題ステータス |
完了 (2004年度)
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配分額 *注記 |
3,500千円 (直接経費: 3,500千円)
2004年度: 1,700千円 (直接経費: 1,700千円)
2003年度: 1,800千円 (直接経費: 1,800千円)
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キーワード | 奈良時代 / 日本 / 官衙・寺院・瓦 / 官衙寺院・寺院・瓦 / 長屋王政権 / 対地方政策 / 考古学 |
研究概要 |
藤原不比等のあとを継いだ長屋王政権が、律令国家体制のもとで、どれだけ政治的実績のあった政権と受け止められるのか、といった政策面での評価まで踏み込んだ研究は、意外と少ない。 本研究は、そうした課題を考古学の上から検討するため、多賀城・多賀城廃寺、下野薬師寺、大宰府・筑紫観世音寺、およびそれらと関連した寺院・官衙、さらに諸国国府、平城宮内裏などの遺跡を取り上げ、それらの新造・造営促進などが行われた年代の検討を行った。 その結果、多賀城・大宰府・多賀城府II期政庁の成立時期、下野薬師寺の官寺化、平城宮内裏の改作、諸国国衙の成立などが、養老6〜7年に集中して行われていることを明らかにした。これは、対地方政策を重視した不比等の政策を次期政権が受け継いだものであり、不比等の時代にできなかった地方行政施設と拠点的官寺政策の整備を大きく前進させたことで、中央集権国家的体制を実質的に完成させる政策であったと評価できるのである。その契機となったのは、養老四年の不比等の死をはさみ、隼人と蝦夷の起した同時テロ事件であったと考えた。これは、辺境政策を強力に進めてきた不比等の不予および死という時期を的確にとらえ、政策の同様をねらった事件であった。 長屋王政権は、そうした現実を担って誕生した政権であり、発足の当初から、地方政策を直視した政策を取らざるを得なかったのである。しかし、そのときの政策は、辺境のみの小手先の政策にとどまったのではなく律令国家の将来を見据えた計画的なものであった。さらに、そうした計画の立案や政策の実施にあたり、無智麻呂を中心とした藤原氏の力が大きかったことを考古学的に明らかにした意義は大きい。
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