研究課題/領域番号 |
15530235
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
経済史
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研究機関 | 名古屋大学 |
研究代表者 |
中西 聡 名古屋大学, 経済学研究科, 教授 (20251457)
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研究期間 (年度) |
2003 – 2005
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研究課題ステータス |
完了 (2005年度)
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配分額 *注記 |
3,300千円 (直接経費: 3,300千円)
2005年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
2004年度: 1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
2003年度: 1,400千円 (直接経費: 1,400千円)
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キーワード | 百貨店 / 零細小売商 / 近代日本 / 消費生活 / 民衆生活 / 地方資産家 / 小売商 |
研究概要 |
本研究の目的は、近代期日本の民衆生活の様相を、最終消費者を顧客とした小売店の史料を用いて検討することである。その場合、小売店にはさまざまなレベルのものが存在しており、都会で大規模な小売を行った百貨店から、いなかの零細な小売店まで多様な小売店が、民衆の消費生活を支えていた。本研究の特徴は、百貨店と零細小売店との関連を民衆の消費生活の視点から具体的事例に基づいて検討することにある。百貨店の事例として、「いとう呉服店」(1925年より松坂屋と改称)を取り上げ、現在の松坂屋本社に所蔵されている資料を利用して分析した。零細小売商については、最終消費者の家に残されている「通帳(掛売り帳)」を利用して分析した。その結果、以下の結論を得ることができた。 1.1910年代の松坂屋は、都市上流階層の人々を顧客とする高級呉服店を目指したが、1920年恐慌や1923年の関東大震災の影響で、民衆の廉売要求が強まり、1920年代以降、松坂屋は次第に「大衆化(廉価での大量販売や店舗面積の拡大など)」を進めた。ただし1920年代の松坂屋の大衆化は、民衆の要求に押される形で進み、営業費や設備費が増大したため、利益率の改善につながらなかった。その後、1929年からの恐慌で、松坂屋は本格的に大衆化を進め、コスト意識に基づいた経営改革が進められた。 2.百貨店と一般の小売商で販売された1920年代の呉服類を比較すると、絹織物のような高級呉服類では、百貨店の販売価格がかなり高かったが、綿織物のような普通呉服類については、百貨店の大衆化の結果、百貨店と一般の小売商の販売価格帯がかなり重なってきた。そうした事情を背景として、1920年代後半以降に百貨店と小売商との競合が大きな社会問題となった。
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