研究概要 |
Chomskyの生成文法理論における完全解釈の原理は母語話者の言語知識に帰属される.一方で,この理論は言語使用モデルに組み込まれるとも主張される.前者は理想的言語知識上での分析による主張であり,後者は実際の言語話者についての経験的主張である.この矛盾に対し,本研究では,完全解釈の原理を逸脱した非文法的な日本語単文(主として二重目的語構文)を材料にして,この原理の心理的実在性を検討することで母語話者の実際の言語知識状態を把握しようとした.その結果,以下のことが明らかになった. 1.この原理を逸脱した非文であっても完全に非文法的であると判断されることはなく,むしろ中程度に文法的であると判断された(但し,文法性の判断は,逸脱が二重目的語構文のどの項に生じるかによっても異なる). 2.逸脱項に句読法をかけると非文の文法性判断値が上昇した. 3.二重目的語構文の語順を基本構文から変形構文に変えると文法性判断値は減少した.また,変形構文においては,逸脱項に強調をかけると文法性判断値が増大した. 以上の結果は,母語話者の文法性判断が種々の実験的操作によって変化し,悉無的に適用されるはずの完全解釈の原理に従っていないことを示している.この事実は,完全解釈の原理の心理的実在性について疑義を提示するものであり,したがって,母語話者の「実際の言語知識」と言語学者の論じる「抽象的な言語知識」との間に大きな間隙があることを示唆する.
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