研究概要 |
本研究は明治前期に,農村の富裕層が地方経済の展開にどのように関与していたのか,彼らがいかにして地主に成長し,いかなる地主経営を営んでいたかを明らかにしようとした.研究は栃木県益子町の60町歩地主・加藤家を中心に行った. 加藤家は,明治維新期には個人貸金業を営んでいた,同家貸金業は明治10年代の松方デフレのもとでは混乱し縮小を余儀なくされたが,明治20,30年代には地方銀行の未整備のもと,益子焼関係者など地域の商工業者・富農に対する産業資金の貸付を強め,個人貸金業として展開しつつ地域産業を支えた.地主貸金業にも,土地集積を目的とする高利貸というステレオタイプではとらえきれない側面があったことが分かった. 松方デフレの下で不良貸付整理を進めた結果,加藤家は明治20年に地価1万円の「大地主」であった.しかし明治20年代の同家は,買い入れた土地の一部を求めに応じて売り戻すなど,不安定な地主経営を余儀なくされていた.明治30年代後半には,このような諸問題が解消して地主経営が安定し,名実ともに50町歩地主に到達したことから,大地主加藤家の成立はこの時期であったと考えられる. 加藤家の地主として展開を阻んだ買戻しは,日本地主制の成立というテーマに関して新たな論点になると考えられる.本研究はその実態と起源,地主制に対する影響などについて,見通しをつけた.
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