研究概要 |
(1)これまで初期ウジミナスにおける在伯日本人・日系ブラジル人の役割は,製造業での従事経験も乏しく,ポルトガル語も堪能ではなく,しかもそのほとんどが5年ほどで辞めているので,限定的・部分的なものとされてきた。 しかしこの間の研究を通じて,この定説とは異なり,初期ウジミナスにおける在伯日本人・日系人の役割が極めて大きいことがわかってきた。その役割とは,日本からの派遣者からブラジル人への「橋渡し」である。この「橋渡し」には,もちろんポルトガル語通訳としての役割も含まれる。しかし,それだけが重要なのではなく,むしろ日本の製造現場での方法論・組織論を理解し,それをブラジル人とともにブラジル流に製造技術を再開発するという役割も重要であったと考えられる。 (2)一方で,初期のウジミナスは在伯日本人・日系人にとっても「職業訓練学校」であったことも明らかになった。彼らは勤務時間外(夜間)に派遣者の宿舎を毎日のように訪ねては,専門分野についてのレクチャーを受けていた事例が数多く見られる。これはウジミナス退職後のキャリア形成にも役に立っていると考えられる。 (3)これまでの我々の研究において,ウジミナスは日本鉄鋼業にとって大規模銑鋼一貫製鉄所の建設・操業に対する海外技術協力の原点となり,その後の技術協力のモデルであるとしてきた。そのモデル性を論じる場合,ウジミナスの事例としての特殊性が考慮されなければならない。この特殊性として,在伯日本人・日系人の存在と役割がまずあげられる。もう一つの特殊性は,技術移転システムの制度化以前に行われた技術移転(技術移転システムの制度化を準備した技術移転)であることである。この2つの特殊性は結びついていると推測され,制度化以前に行われた技術移転を成功させる前提として,在伯日本人・日系人の存在と役割が必要だったのではないか。
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