研究課題/領域番号 |
15720071
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研究種目 |
若手研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
各国文学・文学論
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研究機関 | 富山大学 |
研究代表者 |
梁 有紀 (りょう 有紀) 富山大学, 人文学部, 助教授 (50303201)
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研究期間 (年度) |
2003 – 2005
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研究課題ステータス |
完了 (2005年度)
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配分額 *注記 |
2,300千円 (直接経費: 2,300千円)
2005年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
2004年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
2003年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | 1940年代 / 上海 / 文芸雑誌 / 植民地 / 漢奸 / 文学雑誌 |
研究概要 |
1.これまで日本国内および日本国外(上海図書館等)で収集してきた1940年代前半上海における文芸雑誌を年代・種別に分けてファイリングした。 2.補充調査の必要な資料については、中国よりマイクロフィルム化して取り寄せ購入した。 3.1940年代前半上海における文芸雑誌は、それまでの鴛鴦蝴蝶派等を引き継ぐ系統、同人誌系統(女性誌含む)、汪精衛政権色系等に分けられる。 なかでも、特に汪精衛政権色の濃厚な、政治経済文化総合雑誌『新東方』は、1940年3月10日に「和平」を刊行主旨に掲げて南京で創刊され、1943年1月(7巻1期)より「分銷處」等で上海が関わっていくなか、1944年2月(9巻2期)より編集発行母体が上海に移され、政局の変化を反映して雑誌分量・紙幅も縮小されていくが、文芸欄だけは増幅していき、9巻および10巻(終巻)では文芸誌主体のものになっている。 1943年6月以降終戦に至るまで上海では一時期多数の文芸誌が出版された。その中に上海での『新東方』文芸誌(欄)が位置づけられるものと思われる。1940年代(1943年以降)上海で活躍した張愛玲の文学作品が、『新東方』に掲載されたのも、9巻3期以降である。(訳稿は7巻5期。)これらの作品は長らく原載誌未発見として扱われていたものである。ここに『新東方』雑誌の中国大陸での位置づけが窺える。 『新東方』雑誌の紙福を多く占めていくことになる文芸欄の文学作品は、それまでの「悲観」を「楽観」に変えるという『楽観』(1941.5-1942.4。周痩鵑編。『半月』『紫羅蘭』(前)『新家庭』『紫蘭花片』を受け継ぎ、後の『紫羅蘭』(後)に引き継がれる。)系統とは異なり、作品中には、時局を反映してか出口の見えない、やるせない「悲哀」が漂う。それは、「新しい東方」を理想とした「和平」のあり方との関係性を再考出来るものと思われる。 仔細については「1940年代雑誌『新東方』文芸欄の一考察」として整理中である。
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