研究概要 |
国際会計基準設定過程における参加構造の変化と会計理論の役割について調査を行った.参加構造の変化を時系列的にまとめると以下のようになる.(1)1980年代の英米において生じた会計スキャンダルによって両国において会計制度改革が異なる方向で進められた.英国においては会計基準とクリエイティブ・アカウンティングの共進化構造に対する危機感を背景に会計制度改革が行われた.米国では,トレッドウェイ委員会報告を契機として,会計基準の適切なインプレメンテーションを確保する方向で制度改革が行われた.その結果として,英国では,細則主義から原則主義への移行によって,米国では内部統制の枠組みを構築することで,財務報告の信頼性再建がはかられた.財務報告の信頼性確保にむけての異なるアプローチは両国の特徴として維持される.(2)1990年代初頭より概念フレームワークを共有するアングロサクソン諸国が会計基準の国際的統一にむけてイニシアティブを取り始めた.そのための仕組みとしてはIASCの主要メンバーとオーバーラップしながらも,IASCとは独立した存在であるG4+1が重要な役割を果たした.G4+1は1990年代後半にIASCのアジェンダを実質上決定するようになる.(3)IASCとG4+1の二重構造を解消すべく,IASCからIASBへの組織改編が行われた.組織改編における論点は,IASBの統治構造であった.理事会メンバーの選抜基準および意思決定方法について,アングロサクソン諸国と大陸諸国の間で深刻な対立があったが,英米の意見が最終的には優勢となり,理事会メンバーは各国代表としてではなく専門的知識によって選抜されることになり,意思決定はコンセンサスではなく多数決方式によって行われることとなった.結果的に,英国を中心とする理事会メンバーの個性がIASBの基準設定過程に強く反映される構造となった.
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