東アジアにおける越境大気汚染は森林や樹木の衰退に止まらず、生物多様性や生態系の機能にも影響を及ぼしている可能性がある。しかし、生態系の構成員である微生物への影響はほとんど調べられていない。本研究では大気汚染に敏感な樹種であるスギの生木樹皮に生育する粘菌の島嶼部における分布を調査し、越境大気汚染による微生物への影響を実証することを目的とした。西日本の島嶼部には、西から東へ長崎県五島列島や新潟県佐渡島が孤立的に存在し、越境汚染の程度は大陸との位置関係により異なると推定される。調査は、長崎県の五島、壱岐対馬、鹿児島県の屋久島、島根県の隠岐の島、新潟県の佐渡島でスギ樹皮を採集し、樹皮の湿室培養で発生する粘菌子実体を観察した。樹皮は7月から9月にかけて収集し、比較対照のため信州及び南紀での調査を追加した。全体で12地域の103本の試料木による1060枚の培養から各地の粘菌群集の構造と類似性を分析した。 粘菌子実体は培養シャーレの87.7%に出現し、出現種数は28種になった。調査地間で樹皮pHと出現種数を母平均で比較(チューキー検定)したところ、樹皮pHはpH=3.3~4.2の範囲にあり、5グループに類別された。また、出現種数は2.7種~6.9種の範囲で出現し、粘菌群集は3グループに類別された。樹皮pHは西方の島嶼部で有意に高くなった(東経 : r=-0.767、p<0.01、北緯 : r=-0.540、p<0.05)。また、出現種数も西方地域で多くなる傾向であった。12地域の粘菌群集を非計量多次元尺度構成法で分析し、環境要因(樹皮pH、樹幹直径、緯度経度)との関係を分析した。その結果、第2軸への粘菌群集の布置は、樹皮pHと正の相関(r=0.802、ρ<0.01)を示し、東経度と負の相関(r=-0.644、ρ<0.05)を示した。つまり、大陸に近い日本列島の西北に位置する島嶼部では樹皮pHが高くなり、それに伴って粘菌群集の構造が変化し、種多様性が高くなる傾向であった。健全なスギ樹皮pHは強酸性であり、その樹皮にはカダエダホコリなど特定の種が優占した。一方、樹皮pHが中性化すると、コビトアミホコリ、シロモジホコリが増加し、さらにキノウエホネホコリ、スワリフタホコリが出現した。つまり、日本列島西方に位置する島嶼部は人為的影響の少ない自然環境であるが、地理的に大陸に近いため、越境大気汚染に暴露されやすく、スギ生木樹皮の化学性が変化し樹皮生粘菌の生育に影響が現れている。越境大気汚染は、地域生態系において複数の栄養段階に影響を及ぼしていると考えられる。
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