今年度の研究は、①20世紀の世紀転換期における「全体性 Totalitaet」言説の同時代的コンテクストの解明と、②R・ムージルの大作『特性のない男』中の「別の状態」の概念について、彼の大量の遺稿の読解と並行して分析することを試みた。 ①の研究では、主な分析対象として初期G・ルカーチの悲劇論を取り上げ、それに影響を与えた劇作家P・エルンストの作劇論と比較しながら読むことで、「全体」なるものを志向する論理は、方法論を極端に精緻にすることによって、現実を「再構成」するものとして芸術作品を捉える傾向があることを確認した。思想家・作家のこのような方法論への注目は、ドイツにおいては「ゲシュタルト」を重視するG・ベンの詩作や、フランスにおいてはS・マラルメの純粋詩を例として、広く世紀転換期の芸術思潮に影響を与えていたことを明らかにした。方法論の洗練によって固有の作品空間を一つの全体として表象するこの思考法には、政治的な文脈と置かれた時に異質のものを排除し、ある政治的対象を美化する傾向が見られた。こうした視点から、「全体性」言説と政治の美学化の問題を、H・v・ホフマンスタールの講演「国民の精神的空間としての著作」の読解をもとに分析した。 ②の研究では、ムージル作品のユートピア的思考法の形成過程を、初期の彼のE・マッハ研究論文や遺稿を読解しながら辿り、その思考の頂点の一つとしての「別の状態」の記述において、ムージルの言う「全体 Ganzheit」がいかなる表象を持つかを確認しようと試みた。 当初の計画では①と②の研究成果を元に、ムージルの「別の状態」を頂点とするユートピア的思考法が、同時代の全体性を志向する言説への批判として機能するかを論じる予定であったが、これは今後の研究の課題としたい。
|