本年度はまず昨年度の研究を展開する形で、その成果をモロッコで行われたフランス語圏文学をめぐる国際学会にて発表した。『帰郷ノート』に現れる主体の口の動きに注目し、その動作がニグロの発話行為を規定しているのみならず、物理的なレベルでの主体形成を司る所作であることを明らかにした。この成果をさらに押し広げて、投稿論文の準備に取り掛かった。同論文では上記の主体形成の作用を、1930年代のセゼールの同化批判に関連させてより幅広い射程の中に位置づけ直し、詩人の最初期における「同化」と「消化」のアナロジーを明らかにした。 本年度は研究の枠組みを多少変更させ、主に二つの方面へと調査と分析を広げた。戦間期の反植民地運動の諸相と、同時代の民族学と文学のインタラクティブな関係である。フランス国内における反植民地運動という歴史的コンテクストに組み入れ直されることで、セゼールの詩学の争点と価値がより明らかになると考えられる。本年度は関係する二次資料の分析に集中的に取り組んだが、今後アーカイブ等で一時資料の読解を進めていく予定である。また第二の民族学と文学の関係は、多くの黒人詩人が民族学に傾倒していったのと同時に、社会科学としての民族学もまた文学化していった歴史を持つというだけでなく、戦前の民族学の理論が、戦後の黒人詩の読解と理解とを規定した側面に注目し、その分析を進めた。 グリッサンの詩作品については、今年度は初期作品の読解と分析を進めた。『島嶼界』(1953年)から『黒い塩』(1960年)に至る詩作品の分析を進め、主に風景と歴史の問題系を掘り下げる作業を進めた。同時に理論的側面から分析を補強するものとして、近年盛んに論じられる空間と詩学の相関関係をめぐる文学理論等の吸収を行った。また本年度はグリッサンの詩作の分析と並行して、彼の晩年の評論集『ラマンタンの入江』の翻訳にも取り掛かっている。
|