研究課題/領域番号 |
15K02848
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 関西大学 |
研究代表者 |
西本 昌弘 関西大学, 文学部, 教授 (00192691)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2017年度)
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配分額 *注記 |
2,600千円 (直接経費: 2,000千円、間接経費: 600千円)
2017年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2016年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2015年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
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キーワード | 古代難波 / 難波津 / 中世史料 / 近世絵図資料 / 森幸安 / 西成郡津守村 / 行基寺院 / 日本輿地図 |
研究成果の概要 |
まず難波地域を描いた近世絵図を検討して、古代に遡る地名や地形のデータを収集した。次に中世史料を検討して、古代寺社や古代地名に関する記載を収集した。さらに難波津の位置をめぐる研究史を追跡し、解決への糸口を探った。 収集データを利用しながら、行基が摂津国西成郡津守村に建立した寺院について検討した。善源院は現在の都島区善源寺町に創建された寺院、難波度院は難波大渡に置かれた寺院で、のちの渡邉地域(現在の天神橋付近)に所在したと考えられる。枚松院はかつての福島区平松町に所在した寺院である。以上の行基寺院はすべて淀川(大川)以北の天満砂堆に所在したことになり、この地域の重要性が高まることになった。
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研究成果の学術的意義や社会的意義 |
古代の大阪地域史に関しては、かつて『大阪府史』や『新修大阪市史』が刊行されて、最新の歴史研究の成果がまとめられた。しかし、そうした成果のなかには江戸時代以来の誤った認識を継承したものも多く、改めて現在の地点から批判的な研究を再構成する必要があった。本研究ではそうした認識の下、古くからの通念に囚われず、実証的・批判的な観点から古代大阪地域像を再検証した。その結果、現在の梅田地域を含む天満砂堆の周辺が、古代においても先進地域であり、官衙や離宮・寺院の多く置かれた場所であったことが確認できた。こうした成果は前近代の大阪地域像を見直すことに寄与するであろう。
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