研究概要 |
平成16年度から平成18年度の3年間にわたって実施した研究について,最終報告の概要を以下にまとめる.研究成果の詳細については,別途『研究成果報告書』(216頁)を刊行したので参照のこと.なお,3年間の研究概要については,平成18年度の実績報告書にもまとめたので,ここでは,すでに刊行した研究報告書などの成果を加え,まとめることとする. 研究計画では,資料調査と資料データベース作成,資料分析(論文作成)をめざした.この計画はほぼ達成できたと考えている. まず,資料調査過程で最重要な資料群は,東大大学史史料室所蔵の内田祥三文書に含まれる戦時科学史関係資料であった.マイクロフィルム撮影を含め,資料解析を実施した.戦時科学史の基礎資料を発見できたので,その一部は報告書に資料として添付した.また,戦時科学史に直接,間接に関わる一次資料,二次資料についてデータベース作成を行った.約4000件の文献資料および約400人分の人物情報(戦時中に活躍した人物)を収録することができた.また,資料分析(論文作成)については,日本の戦時科学史を第0期から第4期までに区分し,今回の研究としては第2期(1941-)から第4期(-1945)までを主たる範囲として取り扱った.主たる論点は,戦時中の文部省による科学政策の成立過程,企画院や技術院との科学政策を巡る対立の実態,文部省による積極的な科学政策立案の過程およびその内容,戦争末期において,陸海軍技術運用委員会を頂点とする戦時科学政策の登場およびその実態,である.具体例としては,(1)1930年代までは,科学者による基礎科学振興論が科学政策立案の背景にあり,学術振興会の活動にみられるように民間機関に限定されていたこと.(2)戦時体制強化に乗り出した1941年ころには,企画院が最初に科学政策に関与し,文部省がそれに対抗する形で,独自の政策を打ち出し始めたこと.(3)太平洋戦争における戦況の悪化を受け,資源不足を目的とした科学研究から新兵器開発への科学研究へと政策の目標が転換したこと.(4)企画院(技術院)と文部省の分掌範囲を巡る対立は,陸海軍技術運用委員会の設置後に形式的には解消され,同委員会を中心に「ねこそぎ動員」が実施されたこと.(5)疎開が始まり,こうした動員体制が機能不全となったこと,である.
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