研究課題
基盤研究(B)
本研究は、エチオピア西南部に作られた綿花プランテーションが、現地の農牧民集団におよぼす影響、およびそれに対する農牧民の、生存の方略を明らかにすることを目的とした。Birale Cotton Plantationは、1991年、エチオピア社会主義政権の混合経済への移行時に、エリトリア人の資本家から資本の拠出を受けた高地人農業エンジニアが、Weito川西岸に開発した。この地域はクシ系農牧民Tsamakoの地域集団Duma、Uncheteテリトリーだったが、当時は対岸のKonsoと交戦状態にあり、農耕地・放牧地として充分に利用できない状態だった。プランテーションは地域に警察を駐留させることで、民族間紛争を抑止したが、耕作地を拡大することで、放牧において不利な状況となったDumaと対立した。プランテーションは南部地域に住む首長筋を利用し、懐柔を図ろうとしたが失敗し、1996年Dumaはプランテーションを襲撃した。襲撃は政府の武装警官により鎮圧された。それ以降プランテーションは急激に農地を拡大し、近傍に労働者の居住用の町を作った。プランテーションおよび町の周辺には、現在100世帯近い農牧民の世帯が、いくつかのグループに分かれて居住している。開発に協力した地元Uncheteを中心とする集団は、プランテーションの提供する灌概畑に放牧を組み合わせ、豊かで安定した農牧に基礎をおく。首長筋はメンバーが技術者として雇用されており、プランテーションの利権に食い込んでいる。Tsamakoの他地域からは、旱魃で困窮した世帯が町周辺に移住している。彼らは日雇いや路上生活で生計を立て直し、多くの場合は家畜群を立て直して故郷にもどるが、一部は町に定着し、高地人文化に同化していく。他方でDuma集団のほとんどの世帯はテリトリー内にとどまり、プランテーションとは距離をおいている。このように、農牧民世帯は出身集団により、異なった適応戦略を用いていることが明らかとなった。
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Ivo Strecker, Jean Lydall(eds. ) The Perils of Face : Essays on cultural contact, respect and self-esteem in southern Ethiopia, Berlin : Lit Verag
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"The Perils of Face : Essays on cultural contact, respect and self-esteem in southern Ethiopia" Mainzer Beitrage zur Afrika-Forschung 10,Berlin : Lit Verag(Ivon Strecker and Jean Lydall(eds))