研究概要 |
霊長類の腹側視覚経路の最前部に位置する前部下側頭皮質は,複雑な物体・図形や「顔」の視覚認知・記憶に重要な脳部位である.同領域においては,「顔」に対して選択的に反応する「顔」ニューロンが存在する.しかし,「顔」のアイデンティティの認知・記憶における前部下側頭皮質「顔」ニューロンの機能的役割は必ずしも明確ではない.本研究では,「顔」のアイデンティティの認知・記憶における「顔」ニューロンの機能的役割を明確にする目的で,実際にサルに「顔」のアイデンティティの認知・記憶を必要とする行動課題(「顔」のアイデンティティに基づく遅延見本合わせ課題(I-DMS課題)および「顔」のアイデンティティに基づく非対称的対連合課題(I-APA課題))を遂行させ,前部下側頭皮質腹側部および前部上側頭溝下壁領域から「顔」ニューロンの活動を記録・解析した. I-DMS課題遂行中の「顔」ニューロン活動の計測・解析の結果,以下が明らかになった. 1.多次元尺度分析(MDS)に基づく前部下側頭皮質腹側部および前部上側頭溝下壁領域における「顔」空間の解析:前部下側頭皮質腹側部および前部上側頭溝下壁領域から記録されたニューロン全体の「顔」に対するニューロン活動の反応パターンに対する多次元尺度分析(MDS)を行い,「顔」の特徴空間が各脳領域どのように表現されているか解析を行った.解析の結果,前部下側頭皮質腹側部では主に「顔」のアイデンティティに基づき,また,前部上側頭溝下壁領域では主に「顔」の向きに基づき,「顔」の特徴空間が構造化されていることが示された. 2.行動反応時間とニューロン応答潜時の時間的相関の解析:I-DMS課題では異なる向きの「顔」を使用して見本刺激とテスト刺激の「顔」のアイデンティティの同異をサルに判断させるが,この課題では典型的には,行動反応時間は見本刺激と正解テスト刺激間の向きの角度差に比例する.本研究ではアイデンティティの認知・判断に必要なサルの行動反応時間と「顔」ニューロンの応答潜時を比較することにより,「顔」ニューロンのアイデンティティの認知・判断における役割を調べた.実験の結果,前部下側頭皮質腹側部の一部の「顔」ニューロンはニューロン応答潜時と行動反応時間との間に有意な正の相関があることが示され,「顔」に基づくアイデンティティの認知・判断と密接に関係することが示唆された.一方,前部上側頭溝下壁領域の「顔」ニューロンの応答潜時と行動反応時間にはこのような有意な相関はなかった. したがって,「顔」のアイデンティティの認知・記憶においてサル前部下側頭皮質の二つの「顔」関連領域すなわち,前部下側頭皮質腹側部と前部上側頭溝下壁領域が異なる機能的役割を果たすことが明らかになった. 今後は,I-APA課題遂行中の「顔」ニューロン活動の計測・解析をさらに進め,とくに前部下側頭皮質腹側部における「顔」の記憶表現とそのダイナミクスを明確にする予定である.
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