研究概要 |
1.禅観経典には,観想の中で行者が梵天・帝釈天より灌頂を受け,注がれた液体が全身を満たすというイメージが多く見られる.このイメージの淵源は誕生直後の釈尊が梵天・帝釈天により灌頂されたという伝承にあると思われる.本来は説話上のイメージであった釈尊の灌頂は,禅定中に喜・楽が水のように全身を満たすという原始仏教以来の伝承と,仏の放った光明が頭頂から体内に戻るというアヴァダーナ等に見られるイメージ等との混清を経て,行者が禅観の中で自ら追体験できるものに変化していったのであろう.このような神秘的灌頂の体験を描いたと思われるバイシハル石窟の壁画は,トゥルファン地域の行者達に,このイメージが知られていたことを示唆している. 2.『観仏三昧海経』を編纂するための材料になったと思われる漢文仏典が,5世紀のトゥルファンで入手可能であったことが,同地で発見された当時の写本から推定される.トゥルファンに同経成立のための条件は具わっていたと考えられる. 3.敦煌における観経変相のうち比較的年代の下がるものに関して,信頼に足る詳細な研究は必ずしも多くなかったように思われるがが,そういった中にあって,近年の敦煌研究院による『阿弥陀経画巻』と,大西磨希子『西方浄土変の研究』は注目すべき成果である.これら両書においても指摘されているように,初期のものを除けば敦煌の観経変相には,その典拠であるはずの『観無量寿経』から乖離した点が少なからず見られるのであるが,私はその理由を,SarahFraser, PeeformipgtheVisual等も参照しつつ考察した.これらの乖離には,十六観の配列に関するものと,個々の観想の内容に関するものがあるが,いずれの場合にも画師達は先行する作品を参照しつつ誤解を重ねていったのだと思われるのであって,彼等が直接何らかの文献に拠っていたとは考え難いのである.
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