研究概要 |
近代能楽史の地方展開を葛野流大鼓方飯島家における継承をとおして追跡する作業を実施した。その準備段階に拙稿「金沢能楽会の百年」を対象に飯島家の人々を含む関係者の人名索引を作成するとともに,『能楽画報』『謡曲界』等の能楽雑誌記載の情報を収集し,それらの中から飯島家の人々の活動ぶりを番組欄に確認した。飯島家に言及した,もしくは飯島家の人々が書いた文献の目録化,飯島家に関する能楽史年表も作成した。これらの基礎作業を踏まえて,近世担当の長山直治氏との共著で『大鼓役者の家と芸-金沢・飯島家十代の歴史-』を刊行した(近現代分担当)。早世ゆえに地元での認知度が低かった7代佐六の事績が東京での活動を中心に詳細に把握できるようになったこと,7代を失った6代佐之六が8代佐六(後の六之輔)をどう育成し,芸の継承に腐心したか,それ以前からも含めて佐之六自身の活動は東京や他地方とどう交流し,拡大・収束したか,などが資料によって跡づけられた。藩政期の扶持役者たちは明治維新を機に能楽から離れるか,または上京して流儀の中核となった。つまり金沢の能楽史には近世と近代との間に断絶があり,地方の近代能楽史は新たな担い手たちが再興し,発展させたのであるが,その断絶を埋める存在が唯一飯島家であり,同時に新たな担い手たちを率いて諸地方にも進出して,近代能楽史の地方展開の重要な位置にもあった家であることが明確になった。「近代〈安宅〉論議と地域伝承史」では,地元を舞台とする能〈安宅〉の詞章中の「鳴るは滝」をめぐって,これを金沢の地名と見なす議論の展開を,近世・近代の地域伝承史に追跡した。その他「謡曲」という言葉の起こりについて,これを「ヨウキョク」と読む通説より古い例を2例,『豊臣秀吉譜』の中に見いだしたことなども本研究と関連する収穫と考えている。
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