作者の一定していなかった公文書、詔・勅書・勅答・官符などの政務に直結する文書の作者の変遷、およびその時代背景を考察した。また辞表や願文などの摂関家の人々に依頼されて製作した文書作者の変遷や、これらの作者像、特にその官職に重点をおいて時代の推移を明らかにすることによって、平安時代の公文書を担っていた階層を考察した。 奏上文などの公に提出された文書、また政事には直接かかわらないが、詩序・書序などの公に晒された文書のなかから作者の述懐を抜き出し、その上で、個々の作者がどのような個人的な感情を表しているかを解明した。詩序の自謙表現の変遷をたどり、そのなかで自らの不遇感を表すようになった時代を明らかにし、同様のことを和歌の世界にも見出した。それは和歌作者が、公然と朝廷に提出した作品ではなく、為政者に個人的に提示したものであることが、理化される。さらにそれらは往々にして、公文書と同じ言語や表現、つまり漢詩文表現を用いる傾向にあることを示した。それは、当時の和歌作者における表現の動機をします一旦になっていると考えられる。 作品に述懐を織り込むことが平安時代では中期に著しいことであるということを明らかにしたのち、そのようなことが、次にどの時代のどのような作品に見られるかを考察した。結果として、室町期の禅僧が編集した「抄物」に中国詩を深読みする傾向があり、それは作品を教訓的に捉えていることが理解された。その注解は『白氏文集』が異常に流行した平安時代が自らの不遇を作品に織り込むのとは違い、いわば風諭的に作品を捉えていることが理解される。さらにそれらは、中国詩文の風諭性をはじめて本格的に受容したものであると、日本文学史を振り返って、定義することができるのである。
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