研究課題/領域番号 |
16520150
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
ヨーロッパ語系文学
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研究機関 | 大阪教育大学 |
研究代表者 |
亀井 一 大阪教育大学, 教育学部, 助教授 (00242793)
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研究期間 (年度) |
2004 – 2006
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研究課題ステータス |
完了 (2006年度)
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配分額 *注記 |
1,700千円 (直接経費: 1,700千円)
2006年度: 400千円 (直接経費: 400千円)
2005年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
2004年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
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キーワード | テクスト論 / 作者論 / ジャン・パウル / リヒテンベルク / ヒッペル / 描写 / 機知 / 自己意識 / ドイツ文学 / Theodor Gottlieb v. Hippel / Jean Paul Fr. Richter / Uber die Ehe / 匿名性 / 作者 / 近代芸術の主体 / 諷刺 / G.Chr.Lichtenberg / Jean Paul Fr.Richter / Der Weg der Buhrerin / Erklaerung der Holzschnitte / 物語論 / ケーテ・ハンブルガー / ナンセンス / 主体 |
研究概要 |
本研究は、18世紀後半ドイツの諷刺作家ジャン・パウル、リヒテンベルク、ヒッペルのテクストを取り上げ、テクストの主体という観点から、作者とテクストの関係を考察した。 本研究で、テクストの主体というのは、広い意味で、客体としてのテクストに対する発話者をさし、その主体が実在しているのか、虚構なのかは、さしあたって問わないことにする。語る主体は、登場人物、あるいは、語り手としてテクストに現われるが、テクストの作者とは区別される。テクストの主体は、作者をとおしてテクストに入り込んだ他者であるかもしれないし、作者のなかにある無意識(他者)であるかもしれない。たしかに、テクストは作者によって書かれたものであるが、書かれたものは、しばしば、作者の意図を超えたなにものかになっている。テクストの主体と作者のあいだのズレはここから生じる。 本研究で取り上げた作者たちは、自分がテクストに書き込んだ「わたし」に他者を見出し、それぞれの観点からテクストの主体を主題化することになった。ヒッペルが社会との緊張関係のなかで、自己と書く主体のあいだの亀裂を明確に意識していたとするならば、ジャン・パウルはテクストの虚構性との戯れのなかで、ヒッペルと同じ問題に直面した。ジャン・パウルは、自己の真実を追究してゆくなかで、作者としての自己が虚像の「わたし」であることを認めざるをえなかった。一方、リヒテンベルクが銅版画解説において目指していたのは、本来、虚構化ではなく、銅版画の厳密な再現だった。にもかかわらず、そこに恣意性が生じるのは、視覚芸術の記号体系と物語の記号体系の構造的な差異によると考えられる。本研究では、ラファーター、ジャン・パウルの図像解説テクストとの比較分析で、テクストの主体が意識化されてくる過程を追跡した。
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