本研究は文学を都市との関連で考察し、19世紀イギリスのロンドンをモデルに、文学テクストを、都市の地理的配置と人間心理・身体、制度との相関において分析することを目的とした。当初、跡づけを試みたのは、ブルジョアが他者としての「下層」を構築しつつ自己形成する過程であったが、30・40年代からの「都市改良」が内包する思想性を読み取るために、あらたな権力論を援用して分析することが必要となった。都市行政上の主たる分析対象は、警察制度、衛生改革、住宅建設であるが、その理解のために、『監獄の誕生』から『知への意志』にいたるミシェル・フーコーの思想的展開が重要となったのである。ミクロの権力をマクロな権力に編成する力学は、前者から後者にかけて切れ目のない連続性のなかで考察されていると理解した。前者で呈示された「個人化」の問題性は、後者の「人口」論に無理なく引き継がれて展開されている。この理解は、政治・経済的に個人を軸に展開する近代社会を解読するために有用であり、また、文学が、個人のアイデンティティ、あるいは近代的主体を巡って展開されていることの説明になっている。そのことをテクスト分析によって確認した。17世紀オランダ市民社会の絵画で誕生した個人とその視点が19世紀イギリスの小説に生きているというマリオ・プラーツの古典的な解釈があらたな意味づけを施されるのはこの点である。 主としてロンドンを分析するために、1852年にはじまったナポレオン三世によるパリ改造の政治的・思想的な位置づけを試みた。それによって得られた知見をロンドンにおける住宅建設の理解に及ぼし、その政治的・思想的な意味をさぐった。それを文学解釈に応用して、個人と家族を創出する近代イギリスの試みを、権力論の文脈で捉えることができたのが大きな成果であった。
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