研究課題
基盤研究(C)
十八世紀以降、西欧社会は、中央集権、市場経済の一般化、文化の平準化という方向において、近代化を加速度的に推進する。この傾向は、フランスの場合、首都パリにおいて顕著に展開される。それは伝統的な人的関係の変容として感知されることになるが、とりわけ群集形態において、伝統的共同体に固有のエートス(生活倫理)の解体という位相が最も徴候的に提示されることになる。この喪失の意識こそが、十八世紀から十九世紀にかけて、「ロマン主義」を一つの強固なイデオロギーとして発動させる固有の問題構制にほかならない。疎外を常態とする都市社会の徴候としての未定形な流動的群集に対して、ユートピア的共同性を対置するジャン=ジャック・ルソーの立場、群集に対峙し、個の意識のうちに退却、孤立し、自己差異化をはかるシャトーブリアンやサント=ブーヴの立場、群集へと意識を開放していくことのうちに物象化された自己を超克する可能性をさぐるボードレールの立場、それぞれの群集のイメージの規定は、そのまま、近代社会のなかでどのように自己を位置づけるのか、その意識の様態に対応する。だが、群集が「砂漠」のイメージで提示されるとき、そこには圧倒的な集塊として現前しながら、捉えがたく流動する現実が知覚されている。これを、近代的自己意識の内面における自己同一性をめぐる危機のドラマと読み替えるならば、問題は自己という物語の確立、自己探求の平面へと移行する。ルソーやシャトーブリアンの自伝は、記憶し、回想する「私」の主体的持続をもって、この問題の解決をはかる。だが、記憶の真実と神話とはついに未解決なまま残らざるをえないだろう。ボードレールにおいて、「私」は常にその曖昧な根拠を問われ、記憶は非人格的な残像群の氾濫として示される。その記憶のイメージは群集のイメージと奇妙に重なることになる。以上、今回の研究を総括してきたが、記憶の問題はさらなる検討が必要であり、提出用の冊子体報告書では、群集の問題にテーマをしぼり、論じた。発表媒体の紙数制限もあり、二回にわけて発表したものを合わせて一つとしてある。
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すべて 雑誌論文 (8件)
青山学院大学文学部紀要 第50号
ページ: 87-103
110008895101
Journal of College of Literature, Aoyama Gakuin University vol.50
青山学院大学文学部紀要 49号
ページ: 109-124
110007535624
青山学院大学文学部紀要 第49号
Journal of College of Literature, Aoyama Gakuin University vol.49
青山フランス文学論集 15
ページ: 19-36
110006238068
Aoyama French Studies(Aoyama Gakuin University) vol.15